私にとっても3月11日は、到底忘れる事の出来ない特別な日となりました。
3年経ったこの日には、テレビで繰り返し繰り返しこの日の状況が流されます。
私は、あの日の映像を観ることも聴く事も出来ません。
身体に戦慄を覚えるからです。
3月13日には、かの地で息子を見つけ出す幸運に恵まれました。
傷ついた息子を新潟まで避難させ、私はかの地へと舞い戻りました。
その後の10日ばかりの経験は、生涯私の記憶に、否、身体に刻まれて離れる事はないでしょう。
亡くなられた方々はもとより、今でも家族の元へと帰る事の出来ない霊魂へ、
また、不自由な生活を強いたげられておられる方々に対して、
おかけする言葉が見つかりません。
あの日の思い出と、その様な想いに、
自然と涙が頬を流れ落ちてしまいます。
東北の隈無くまでの、いちはやい復興と、其所に暮らす大勢の方々の心に安らぎが訪れます様にと
心から心から願ってやみません。