特定の人に何度も裏切られた経験が在ります。
その時、
全身の筋肉は硬直するほどにまで固まるのです。
悔しさからでしょうか?
怒りからでしょうか?
そのあと急激な無力感を味わい、
ポロポロと涙を流すのです。
その時は家人の支えで、
頭を垂れた私でも、
ポツポツと足を前に一歩出して、
再び歩き始めたのです。
そんなことが、
私には幼少期から在りました。
私が家族にでさえも、
幼い頃から少年期の話をしないのは、
言いたくないという気持ちが強いからだと判っています。
そんな相手でさえも
数年経って、
助けを求めて来られた時には、
私は黙って受け入れてきました。
当時のことは鮮明に覚えています。
それでも私は黙って受け入れてきました。
皆は私に呆れ、怒り、やってられないと。
私の我慢処の勝負処は、
自分の夢や目標実現のために
直向きな辛抱、忍耐、奮発する処であって、
人を恨むことではありません。
私と親しい関係の人ほど、
そんな私を怒ります。
私は阿呆なんだと思います。
私自身が大勢の方に迷惑もいっぱい懸けました。
その反面、大勢の方に助けて頂いて、
今日に至っています。
穴が在れば入って隠れたい経験も沢山です。
ですから、
私は人を信じていたいと思います。
そして信じることの第1歩が許す心だと思います。
心でどんなに泣いていても、
満面の笑みで、
私は患者さんを迎える気持ちでいますし、
1歩外へ出ても、
身体こそ小柄な私ですが、
優しい空気のような人で在りたいと思います。