男の流儀


 商人の家で生まれ育った私は
幼い頃より
家に勤める職人に
囲まれて
大きくなった。

 環境と云うものは
恐ろしいものである。

 幼い眼にも
どの職人が上手で
誰が先が無いのか
自然と判別出来る様になった。

 口先と技量の間には
相関関係は成り立たないと云う事も
育った環境が
自然と教えてくれた。

 私は仕事は、
否、
家庭に於いても
全ての全般にわたって
其の総括は
男が毅然と構えている事が
肝要かと
思っている。

 では、男の毅然とは
則ち、
流儀である。

 男の流儀の前に女無し。
男の流儀の後ろに女在りである。

 弱くダラシナイ男は屑である。
女の尻を追いかけるは野暮である。

 男に産まれた以上
女が寄って来る様でなければ
男を廃業するが善かろう。

 その様ななか
脇が固いが
本物の紳士である。

 男たる者、
こうでなければ成らないと
律するから
男なのである。

 此れを窮屈と感じ
自己崩壊の道を辿るは
男の修行なり鍛練が
足らぬ故に
同情の余地など無いのである。

 仕事も同じく
厳しいものである。

 仕事に広言など不要である。
黙って、己を封じ込め
心と身体を一体にして
ただ励むのみである。

 歯科医と云う職人仕事は
エンターテイメントでは無い。

 其処の処を
履き違える輩は
早々に
歯科界から
退場すべしである。