昨日
1月20日 午後8時半 過ぎに
母は 旅立ち ました。
危篤 でした
が
兵庫県川西市 の 畑矯正歯科 へは
通常通り
行って いました。
母が
ソレを 望むと 思って いました から。
急報が 入り
母が
私を 待って
頑張って いる との 報が 看護師さん から 入り
畑矯正歯科 みんな の 後押し で
高松市 へと。
途中
お母さん 限界に 来て います!
息子さん の 来る のを 待って 頑張っています!
なんども なんども 報告が 入ります。
が
私には 確信が ありました。
母は 私が 掌を 握る まで
必ず 待って いる と。
施設に 飛び込んで
家人 が 泣きじゃくり
母 の 掌を 握って
お母さん お母さん
と
大声で 声がけ して います。
代わって
私が 掌を ギュッと 握り しめ ました。
今まで ありがとうございました。
産んで くれて ありがとうございました。
と
声 かけ しました。
母 の 瞳から 涙が 流れ ました。
意識 無い のに。
しばらく して 息を 引き取り ました。
息を 引き取る 直前に
息子が 嫁 と 赤ん坊 を 連れて
飛び込んで きました。
でも
私は 母の 掌を 息子には 渡しません でした。
母が 1番 大切だった のは
私だと 自負して いた からです。
施設 の 職員の 方々
訪問看護師 の 方々
の
ご尽力 にて
私は 母 の 今際の 際に 間に合い ました。
心より
御礼 申し上げます。
母 を 自宅へと 連れて 帰り ました。
母 の 脇 で
家人 と 共に
眠り ました。
波瀾万丈 の 生涯を 閉じた 母です。
その 息子たる 私 の 人生も
同じく
波瀾万丈 です。
コレから
母が 私を 包み 護って くれる でしょう。
葬儀は 私 家人 孫 と 曾孫
と
静かに 送り出そう と。

私 の 脳裏に 残って いる 母 です。
