長い間
歯科医師 として 務めて きました から
医療 の 分野 に ついては 詳しい 積もり でした
が
福祉 介護 の 分野 に ついては
縁 が 無かった ので
全く の 無知に 近い 状況 でした。
数年前
母 を 東北地方 の 寒村から 引き取って から
そういう 訳 にも いかず
と 云う よりは
余命を できる 限り
快適 で 心穏やか に 送らせて やりたいと
できる 限り の ことを と。
ただ
私 も 還暦に なり
また 開業医 という 職業柄
痴呆が 進む 母の 日常の 世話が
身体に 堪える ように なり
施設に お願い する ことを 決断 したのですが
親 は 子 の ため ならば
自分を 犠牲に してでも 懸命に 子育て する のに
私は 仕事を 優先して
母を 施設に お願い する ことに
大きな 引け目 を 持って 申し訳ない と 思って います。
ただ、
医療職 の 眼 から
介護の 世界を 客観的に 視て
やむを得ない と 半ば 諦め の 境地。
とは 思い ながら
施設を 視て
高級施設 ほど ホスピタリティーが 行き届いて いる
という のは
間違い である と 気づいた のです。
私は 決して 施設職員に 対して 苦情は 言いません。
コチラ が 違和感を 感じる 人に
モノごと を
言っても 無駄ですし
私から してみれば
母を 人質に 取られて いる ような モノ だから です。
週 に 2回
お菓子を 差し入れに 行く だけで
ピン と くるん です。
普段 は どのような 介護を 施して いるのか が。
そのような 訳 で
私は 母を 託す 施設を
3回 変えた の です。
この 程度の こと くらい しか できない
自分を 秘かに 責めて います。
あと 半年 ていど で 90歳 に なる 母。
この 母 の 唯一の 楽しみ は
週に 2回
私 と 家人が 会いに 行く こと。
年末年始 ゴールデンウィーク などの
少しばかり の 祭日に
私の 自宅に 連れて 帰り 泊まる こと。
つくづく 親不孝だ と。
私の 父は 遺骨が ありません。
返して 貰えない のです。
母 娘 の 関係に
私は 関われ ません。
という か
血の 繋がり は あっても
私の 物指し とは 大きく 異なる 人に
通じない 物事が あります から。
遺骨 の 無い 父の 墓標は
私が 先祖代々 の 墓標に 並んで 立てました。
先祖代々 の 位牌の 並ぶ 御仏壇の 中に
父の 位牌を 並べて 供養 しています。
母の 死後
父の 遺骨の 無い 墓に 埋葬 すべき か どうか
私は 悩んで います。
私は カトリック教会の 信者ですから
三枝家 の 墓地にも 御仏壇にも 入りません。
私の 死後
息子に 託す訳 です。
それぞれ の 家には 因縁 という モノ が 在る と 思って います。
その 因縁を 私が 背負って
絶ちきり
息子 へと 繋ぐ のが
私 の 責任だと 考えて
私は カトリック教会の 洗礼を 受けた の です。
家人は 決めて いる ようです。
私の 遺骨は
自分が 死ぬまで 自宅に 安置 して おく と。
で、
自身 の 死後
私の 遺骨 と 自身の 遺骨を
一緒に
日本海を 仰ぐ 新潟市の 海に 散骨 する と。
私は それで 良い と 思って います。
ただ
私の 母。
痴呆 ですから もう 自分の 意思は ありません。
ただただ
還暦にも なった 息子である 私が 大事 だと。
そんな 母 ですから
父の 遺骨の 無い 墓に
一人で
それも
姑夫婦 小姑 などと 並んで 一緒に
あの世でも 苦労させる のは 忍びがたい と。
いっそ
母を カトリック教会の 洗礼を 受けさして
私らと 一緒に 行く のが 幸せ なんじゃ ないか?
そんな 事
この頃 考える ように なりました。