月別アーカイブ: 2020年3月

言葉

昔、

歌謡曲で、

学生街の喫茶店・って唄がありました。

ご多分に漏れず、

私の・行きつけの店も・ありました。

フルールという名の・喫茶店です。

当時の私立歯科大学の学生はお洒落でした。

高級外車とブランド品ってノが・当たり前だった、

懐かしい時代です。

大学の近くに在るにも・関わらず、

この店に・お洒落な歯科大生が来ることは・ありませんでした。

お洒落さ・からは、ほど遠い空気が、

店の前からも・漂っていたからでしょう。

暇なマスターは、

カウンターで、

漫画本を眺めては・大笑い。

カウンター脇から

ゴキブリの子どもが・すーと、

走り去るのも・日常茶飯事。

イタリアン・ピラフ

メキシカン・ピラフ

ナンとか・ピラフ

メニューには・ソレなりの品々が・あるんですが、

出てくるモノは、

全部・同じピラフ。

笑っちゃいました。

ランチの食材は・全て業務用の揚げ物。

仕事に対しては、

全く・やる気ない方でした。

そんな店でしたが、

来る人は・来るんです。

リピーターばかり。

何故だろう?

調査の積もりで・通い出して、

結局、

私もリピーターに・なりました。

自宅に居る・安堵感とでも・言いましょうか。

そういう空気が、

このマスターには・ありました。

時代は移り、

学生街の喫茶店の・ほとんどが、

姿を消しました。

数年前、

トンカツ屋の前に・路駐し、

串カツ定食を堪能していると、

店の引き戸が・ガラリと開き、

懐かしい笑顔が、

あ~っ・ヤッパリ・三枝じゃあねぇか!

香川ナンバーが・在るっけさぁ。

もしや・してぃ・と・思ってさ。

フルールのマスターだったのです。

昨日、

何年かぶりに、

電話をいただきました。

69歳に・なられたとのこと。

さぁ・え~・ぐぅ・さぁ~・

なんて、

未だに呼んでくれる人が・少なくなりました。

私にとっては、

気を遣わないですむ・貴重な人材です。

今度さぁ・泊まりにくっべぇ。

酒でも・飲んでよぉ。

ありがたい一言でした。

未だに・消えない記憶

どうした・モノでしょうか?

昨日は、秋田で。

今日の未明には、能登沖で、

地震が在った・そうな。

ただでさへ・眼には見えない恐怖に包まれる昨今。

これに加えて、

大地が揺れ、

海が襲ってくれば、

いくらなんでも・平静な心は、

到底・保つことは・できません。

9年前の・今、

早朝の5時に新潟市を出立しましたので、

日本海の荒海が国道を・洗わんばかりの村上市あたりまで、

たどり着いた頃だったと・記憶しています。

大海を背に、

眼前にそびえる・雪白い山脈を仰ぎ見、

これを越えるのか・と。

呆然と・なりました。

信仰のやま・月山を目指して、

アクセルを踏み込んだのです。

車載テレビからは、

AC日本広告機構の音楽が・繰り返し・繰り返し。

当時、

この音楽に・腹が立ちました。

何度も・何度も・シツコイと。

心が・荒れていたンですね。

ただ、

時たまに、

このコマーシャル音楽が・テレビから流れてき、

耳に致しますと、

瞬間に・当時に返り、

身体が・硬直します。

それほどまでに、

波瀾万丈の人生であった私の・経験を、

吹っ飛ばすほどの・最大級のトラウマを

受けたンだと・思います。

雪の山道。

路面は雪。

右も左も・高い雪の壁。

せり立っていました。

カーブする山の道を進むも、

眼前は、

何時まで経っても、

雪の壁・続き。

不安で・堪りませんでした。

前へ・進んで・何処に行くのか?

大丈夫なのか?

といって、

バックするだけの・車道幅は・ないのですから、

ただ・ただ・進むしか・ありません。

正午前に、

盆地である山形市まで・進みました。

もう・ひと山・越えねば、

太平洋側の仙台市へは・行けません。

車に、

思わず、

頑張ってくれと、

声をかけた・モノでした。

午前0時を基準に、

2時間間隔で、

10分間だけ、

東北大学付属病院の正面玄関で待て・父は行く。

ソレだけを・メールに託して・いました。

被災時の家族との・待ち合わせ場所。

これは・正確さが・重要です。

ピンポイントで。

時刻も、

熱さ・寒さで、

身体が・壊れるかも・しれません。

ピンポイントで、

繰り返し・繰り返しのチャンスを。

そうでないと、

すれ違いが・起こります。

この辺りの正確さを・求めるのは、

間違いなく、

私が歯医者だからこそ・だと思います。

太平洋側の・地面も・海も・川も、

私を壊して・しまいました。

生き方の模範を、

東郷平八郎元帥や山本五十六元帥とする私ですが、

決して軍国主義者では・ありません。

加藤友三郎大将の提唱する・不戦艦隊、

抑止力としての軍備に・賛同し、

決して軍が・動く事のない政治をと、

常々・願って・おりましたから、

自衛隊の海外への派遣については、

断固反対の意見で・います。

そんな私が・立つ大地は、

戦場の痕に包まれて・いたのです。

言葉で・お伝えすることは、

差し控えたいと・思います。

あの時から、

私は・世情や世論を、

行動の判断基準に・しなく・なりました。

自分の眼と・耳と・肌感覚から来る

自分自身の・勘・を1番に信用するように・なりました。

ソレと、

勤勉さと、

常日頃の備え・です。

人が変わったと・言われる時が・あります。

当たり前ですよ。

多くの御霊が・犠牲になった時代に、

其処に居たのですから。

 

オールセラミッククラウンの支台歯形成

1日、

慌ただしい・ですよ。

オールセラミッククラウンを被せるための、

支台歯形成って・いうンですが、

いわゆる、

クラウンを被せるために・削った歯です。

これが・重要ナンです。

クラウンの精度は、

ほぼ・このステップで・決定します。

支台歯の完璧度を視て、

歯科技工士さんは、

態度が一変・する筈です。

器用な歯科医師か、

不器用な歯科医師か、

一目瞭然ですから。

勉強している歯科医師も、

支台歯と歯肉の関係を視て、

出来る歯科医師か、

仕事に・頓着しない歯科医師か、

一目瞭然ナンです。

全く・診えない歯科医師は、

単なる・歯科医師免許を持っただけの人です。

ここからの微調整が・またまた大変ナンです。

色の表現も・然り。

あえて・私は【審美歯科】を強調しません。

だって、

綺麗で・自然な歯を。

当たり前・だからです。

 

祈り続けています

9年前の・今、

私は新潟市に向かって、

ひたすら北陸道を、

駆け走って・いました。

暦の上では・春なのに、

フロントガラスに・舞い散る雪を、

忙しなくワイパーが・払っていました。

新潟市での高校受験を前に、

愚息が、

宮城県松島町から・今日、

新潟市に準備した住まいに来る筈でした。

昨日の正午前、

仙台市で・愚息は被災しました。

父ちゃん・助けてくれぃ!

叫び声が・鼓膜に・未だに焼きついています。

昨日は眠れぬ夜を・大阪で過ごし、

情報収集に努め、

夜明けと共に、

一路・新潟市へと・向かったのです。

私の考えは・こうでした。

日本海側の新潟市から・迂回して

奥羽山脈を越して・太平洋側の宮城県に入ろうと。

9年前の今日の夕刻に、

新潟市の愚息が・本来居る筈の新しい住まいに、

なだれ込んだのです。

胸が裂けそうでした。

愚息と全く・連絡がとれません、・でしたから。

新潟から宮城県へのルートも、

情報が錯誤して・未定です。

ただ、

新潟市は、私にとっての・心の故郷。

高松に居続けてというよりは、

まだ・気が確かで・保てたんだと・思います。

泣きながら、

大声で叫びながら、

ハンドルをつかんでいた自分を・覚えています。

何年経っても、

あの眼にした光景と、

揺さぶられ過ぎた心が、

時・時・に、

脳裏をかすめるの・です。

万事に備えよ!

人生の大きな教訓を得た代償は、

あまりにも・大きすぎる・のです。

今でも、

私は・祈り続けています。

 

ルール

アメリカの人気テレビドラマの、

【NCISネイビー犯罪捜査官】の熱狂的ファンである私は、

主人公のギブス捜査官を模範に、

日常生活を過ごしているのですが、

そんな私を・家族は鼻で・フンって・

小馬鹿に・しているようです。

ただ、

放っておけば、

何をしでかすか・判らない質の私が、

ソレなりに・社会に順応できているお陰は、

ギブス捜査官の【ルール】に・大いに影響されているから・です。

で、

ギブス捜査官のルールブックの中で、

警察官ではない人に・関連あるモノを、

ご紹介・しましょう。

ルール3  1度で信用せず、必ず確認を

ルール4  秘密を守りたければ他言しない。

必要なら誰か1人にだけ話すこと

ルール5  才能を無駄にするな

ルール6  謝るな。謝罪は弱さの現れだ

ルール7  嘘をつく時は、必ず具体的に

ルール8  思い込みは捨てろ

ルール10 仕事に私情は挟むな

ルール11 終わった仕事に執着するな

ルール12 同僚と付き合うな

ルール13 弁護士を巻き込むな

ルール14 道を曲げても外れるな

ルール15 チームで協力しろ

ルール18 事前の許可よりも、事後の許しを

ルール20 下を見ろ

ルール28 助けを求めることも必要

まぁ・ザッと・こんな処です。

ぼォ~っ・と、過ごすノではなく、

1度・立ち止まり、

この・ギブス捜査官のルールを・思い出すのです。

もう9年に・なるのですね

どうした・ことでしょう?

庭の桜に・花が咲きました。

天が、

大気温を上昇させて、

目に見えない・魔物を制圧し始めたのでしょうか?

9年前の・今日、

大地が裂けました。

そして数日後、

新潟市に雪が・ふりました。

天も大地も、

凍てつくほどの・哀しみに・包まれたのです。

時・その時の・刻々を、

今も・鮮明に覚えています。

その時々の・心模様も・

身体中に・刻まれています。

今日1日くらいは、

喪に服し・お亡くなりになられた御霊の

御冥福を祈りましょう。

未だご遺族の元に戻れぬ亡骸が

どうぞ・安らぎの御家族の元へと還れる事を、

心から・お祈りしたいと・思います。

宝塚歌劇団が公演を再開したそうな。

そうで・なきゃ・関西人!

選抜高校野球・なくして、

日本の春が・来ないじゃないですか。

甲子園球場から・春の風を吹かさん・きゃ・でしょ。

応援する側に・紳士淑女の対応さへ・在れば。

宝塚歌劇団の観客側には、

明確な紳士淑女の所作が・現れたと。

ソコが・宝塚歌劇団の強さの所以ナンでしょうね。

青年期への入り口へと・伸びゆく球児たちが、

伸び伸びと・プレーできるような、

もう大人の対応を、

資本主義に曝されてきた大人たちも、

襟を正して、

後押しするべきだと思う私は、

またまた・批判の的に・なるでしょうね。

何時になったら?

どうしよう!

国が・何してくれる!

そんな事ばかり・言う前に、

完全防備で・グイグイと、

前へ・進みましょう。

好奇心

犬の名前に【平蔵】と・つける位に、

鬼平犯科帳が・好きです。

ほぼ・台詞を暗記している程に、

何十回となく・観賞しましたし、

今も・観賞し・続け、

原作も、

毎年1度は、

全巻・目を通します。

が、

私は池波正太郎という作家が、

好きなんだ・と、

最近・気がついたのです。

吉右衛門さん・も良いですよ。

吉右衛門さん・だからこそ、

良いンだと・思いますが、

ソレでも、

池波正太郎という作家が、

凄いんだと・思います。

書店にて、

興味深い1冊・見つけました。

ほぉ~・と。

私は【初代】ですから、

2代目という・立場が、判りません。

よく他人から・言われるンです。

先生の跡継ぎは・大変でしょうね!

そんな事・考えても・いませんでした。

好きに・ヤレバ良いンですが・親としては。

セルフケア

午後の7時半に・なりました。

今、

診療が・終わりました。

私的には、

この頃は・こんな遅くまで・という意識です。

50歳くらいからは、

午後の6時くらいには、

診療を・終わらせていましたので。

歳をとるたびに、

シツコク・なってきた自分を・感じます。

自分に対する・合格点が、

徐々に・上がっています。

まだまだ!

という処でしょうか?

お一人当たりの治療時間が、

ドンドン・長時間になっているので、

患者さんも・お疲れサマです。

でも、

治療精度は・上がっています。

そういう訳で、

お疲れでしょうが、

ご勘弁・願います。

仕事が・終わると、

右肩が・痛いです。

スポーツ選手と・同じですね。

風呂で・ゆっくりと・温めたり、

ストレッチしたり、

注射をうったり、

身体への・手当てに・注意しています。

今日の根管充填のレントゲンを診て、

ドンドンと、

トラディショナル化してきたぞ!

チョッと・良い気分になりました。

最近流行りの・根管充填法が、

私は・大嫌いなンです。

根管充填は・あくまでも、

ドクター・グロスマン、

ドクター・イングルの為したる、

レントゲン写真が・見本だと・思っています。

近づけるように、

日々・精進在るのみです。

見えないけれど・絶対に存在するモノ

今日は、

祖母の月命日に・あたります。

私が大学6年の病院実習の年に、

亡くなりました。

ですから、

葬儀には・出られませんでした。

祖母という立場は、

幼少期の子どもには・大きな影響力がある事を

歳をとるたびに・実感するノです。

観る・聴く・所作、

祖母のソレを・鮮明に覚えています。

祖母の家の座敷の壁の・高い処に、

昭和天皇の写真が掛けられて・いたことも、

米を磨ぎながらの・鼻唄が、

日露戦争の折の軍歌が・主であった事。

乃木大将ご夫妻の殉死の話しを・夢中で聴いていた私の顔。

孫に言い聞かせる・人生訓。

尚登!ひとから悪口を言われるように、なりなさい!

どうですか?

今の時代の・教育とは・異次元な処ですね。

祖母なりの、

孫への・応援歌だったんだなって・思っています。

ジェラシーを受ける位の立場に・なりなさいよ。

で、

ジェラシーていどで・メゲテはダメよ!

そういう意味で・しょうか?

心は・決して・目で見る事は・できませんネ。

でも、

心は・確実に・存在する・じゃないですか。

そういう事を、

祖母から・学べたと・思っています。

どら焼きが・好きだったと・記憶しています。

今朝は、

お仏壇に、

どら焼きを・山盛り。

熱いお茶を一緒に・入れ替えて、

香の煙の向こう側の御位牌を振り返り、

白衣姿の私は、

診療室へと。

私の幼少期は、

トイレは水洗式は・何処の家庭でも無く、

いわゆる・ポッチャン式でした。

今・無い、無いと、

大騒ぎの・トイレットペーパーも、

当時は・存在していません。

便器脇の床に、

蓋つきの小箱が・在り、

中に、

尻振きのための和紙が・重ねられていました。

その小箱の中に、

お祭りの露店で買った・ゴム製の蛇を、

置いて・おきました。

この蛇を買った元手は、

祖母からの・お小遣いナンですから、

祖母は大変・お気の毒。

さぁさぁ・早く・ばあちゃん・便所に入れって・処ですかね。

祖母は・蛇が1番・苦手だったからです。

で、

ばあちゃん・お茶・入れようか?

ついつい・水分を勧める訳です。

あんたは・優しい子だねぇ。

ご本人は・安気な・モンですよ。

が、

孫から勧められた・お茶を飲み過ぎたんでしょう。

遂に・その時が・ヤッテ来たのです。

数分の後、

離れのトイレから、

大きな絶叫が聞こえてきたのは・言うまでもありません。

祖母は、

驚きのあまり、

便座の穴を・尻から・真っ逆さまに、

肥貯まりへと、

落下したのでした。

ただ、

生きるという人の執念でしょうか?

全く泳げない祖母が、

肥貯まりでは、

立ち泳ぎ・していた事を、

消防署の救助隊員から聞き、

大いに・感心した事も、

どら焼きをお供えしながら、

そういう事も・あったっけと。

生きようとする心も・目では見えませんが、

確実に・在る訳です。

ですから、

私は、

人と人との・繋がりを、大切に・考えてるんです。

そう・そう、

その後の結末ですか?

私の頭には、

いくつかの・タンコブが出来た事は・言うまでもありません。