9年前の・今、
私は新潟市に向かって、
ひたすら北陸道を、
駆け走って・いました。
暦の上では・春なのに、
フロントガラスに・舞い散る雪を、
忙しなくワイパーが・払っていました。
新潟市での高校受験を前に、
愚息が、
宮城県松島町から・今日、
新潟市に準備した住まいに来る筈でした。
昨日の正午前、
仙台市で・愚息は被災しました。
父ちゃん・助けてくれぃ!
叫び声が・鼓膜に・未だに焼きついています。
昨日は眠れぬ夜を・大阪で過ごし、
情報収集に努め、
夜明けと共に、
一路・新潟市へと・向かったのです。
私の考えは・こうでした。
日本海側の新潟市から・迂回して
奥羽山脈を越して・太平洋側の宮城県に入ろうと。
9年前の今日の夕刻に、
新潟市の愚息が・本来居る筈の新しい住まいに、
なだれ込んだのです。
胸が裂けそうでした。
愚息と全く・連絡がとれません、・でしたから。
新潟から宮城県へのルートも、
情報が錯誤して・未定です。
ただ、
新潟市は、私にとっての・心の故郷。
高松に居続けてというよりは、
まだ・気が確かで・保てたんだと・思います。
泣きながら、
大声で叫びながら、
ハンドルをつかんでいた自分を・覚えています。
何年経っても、
あの眼にした光景と、
揺さぶられ過ぎた心が、
時・時・に、
脳裏をかすめるの・です。
万事に備えよ!
人生の大きな教訓を得た代償は、
あまりにも・大きすぎる・のです。
今でも、
私は・祈り続けています。