日別アーカイブ: 2017年12月1日

テスト前

中学1年の娘が期末試験に差し掛かり、

これは間違いなく、

私の血を受け継いでいるのでしょう。

直前になって慌ておののき、

寮に居ては自力では間に合わぬと、

毎朝5時起床の6時発の電車で通うと云うこの頃。

で、

私は50も半ばですよ。

国語文法のテキストを開いては、

活用ある、活用ない、

ウーは動詞。

イーで終わるは形容詞。

ダで終わるは形容動詞。

はたまた、

美術のテキスト開いては、

ルネッサンスはダ・ビンチ、ラファエル、ミケランジェロと。

歯学で一色に染まった脳髄に、

中学9科目は相当キツイのが正直な処です。

質問されて即決答えられない際などには、

逆に、

パパは本当に博士なの?

で、

バスケットボールのルールを消化しようとした直後に、

ついに脳髄が爆発したのです。

仕事もキツイが、

テストも怖い。

あぁ、大人で良かったと

そんな近況です。

その時々の眼

祖母は明治の生まれでした。

杉野!杉野!杉野は何処?

井戸から水を汲み上げ、

米をとぎながらの、

日露戦争の軍神と唱われた広瀬中佐を称える軍歌は

幼い私を余程にも感動させたのでしょう。

今でも鮮明に鼓膜に残っています。

そんな話しを子どもたちにすると、

怪訝な表情にて、

いつの人間?

って返されるのが常となりました。

それが、

昭和から平成へと時代は大きく変わり、

私の価値観は、

極々稀なる少数派と、

変人扱いされる一方です。

来年には、

新しい年号が発表されるそうな。

ますます古い人間になってゆくのを実感します。

それでも、

流行り廃りのある治療にだけは

手を付けなくて良かったと、

安堵する機会が多いのも事実です。

マイクロスコープを使った

大拡大視野の診療が私の普通になりました。

改めて、

丁寧仕事に徹した昔ながらの手作業の方が、

効率は悪いけれども、

綺麗な結果が得られていることを確認するにつけ、

古くても確かな治療の方が、

断然、

患者さんのためになると確信するのです。

他からは、

最先端の歯科治療を実践していると

思われているようですが、

それは大きな勘違いであり、

本来は、

アメリカンナソロジーの時代の歯科治療を

忠実に守っているのが、

私の診療所の特徴なのですが。

見えるものと、

診えるものは、

全然違うのだと、

また、

診えることと、

できることも、

全く違うのだと、

声を大に言いたい心境です。

50半ばの私ですが、

10年先は10年先の、

20年先は20年先の、

眼が、

養えるように、

日々研鑽と、

戒めて、

歯を楽しみながら過ごしています。

 

どっちもどっち

母校の後輩歯科医師から

治療のアドバイスを求められ、

彼を悩ます症例の写真と資料を見せて貰い、

最近つとに丸くなったと言われる私ですが、

だんだんと腹が立つのを自覚していました。

いかん、いかん。

後輩と云うことでの可愛さから、

腹が立つのでしょうが、

愛情あまって、

お相撲さんみたいになってはならぬと。

どうですか?

やはり丸くなったでしょう?

彼に言いました。

一つ一つの手順ですが、

私らは大学で、

そのようなことは教えていませんが。

患者さんの口腔の模型は?

レントゲンは最低でも14枚法では?

なぜ根管治療や虫歯の修復に

ラバーダムしないの?

確認のレントゲンはどこ?

治療する以前の、診断の根拠は?

君は海図を持たないで、

航海に出かけるんか?

怒ったらダメなんです。

諭すように、

気づくように、

歯の不思議さに興味を抱くように。

それが、

今の人たちへの教育の仕方です。

私の時代ですか?

馬鹿野郎!って

ぶん殴るられてましたね。

相撲界のテレビの報道に、

どっちもどっちと。

 

 

もう12月ですね

窓の向こう側の街路樹も

すっかり葉を落としてしまいました。

弱々しい日射しに

もの悲しい気持ちになります。

と言ってもいられません。

元気を出さねばなりません。

予約表を見れば、

患者さんお一人お一人のお顔が

目に浮かびます。

頼って御出で下さるのですから。

もの想いに耽る暇などありません。

先月読んだ論文を

ノートに纏めたものを

スクラップブックに整頓し、

今日からの肥やしにしなければと。

なんだかんだ言いながら、

クリスマスから大晦日、

そして新年へと

押し立てられるように

時が過ぎて行くのでしょう。