月別アーカイブ: 2013年8月

なかなか予約が採れないと云われる理由

 巷では、私の診療所は予約が採れないと
云われているのを私は、充分に理解している。

 総入れ歯の患者さんは5人迄。
一人が完成したら、
お待ちの次の患者さんに
連絡をいれる。
総入れ歯は、
歯科医の能力の全てが問われる。
私には、多くを拝見する自信がない。

 歯の神経を採る治療は
1日に一人のみである。
手先に全神経をと
研ぎ澄ますので、
クタクタになる。

 噛み合わせの治療には
半日位の長時間を要する。

 インプラントの手術も然りである。

 私には流れ作業は
到底出来ないのである。

 器具の滅菌についても
私自身が納得するまでに
至ったレベルでは、
到底1日に多くの患者さんは
拝見出来ないのである。

 又、1日の中で
私の患者さんの為の
救急処置が出来る様に
時間を空けている。

 一月に一週程は
大学での仕事がある。

 かような訳で、
新しい患者さんには
御迷惑をかけている。

 何卒、御理解頂きたい。

日本歯科大学 新潟生命歯学部 保存学第2講座の同門会が

 今年の11月に、日本歯科大学新潟生命歯学部の
保存学第2講座の同門会が、新潟グランドホテルにて
開催される。

 同門会に参加するのは
久方振りである。

 講座の主任教授が新海先生に代わられてから
初めて開催される同門会である。

 グランドホテルは、私の新潟での
自宅のはす向かいである。

 時間ギリギリになってから
出掛けるつもりである。

 此の歳になっても
当時、苦手であった先輩に
出会すのは、多少、気が重い。

 恐らく、皆、随分と歳をとった事だろう。
当時は、歯科全盛の時代であった。
随分と多く医局員が教室に在籍し、
無給の人間も随分と居た。

 今では想像も出来ない活気があった。

 当時を懐かしみながら
11月は雪は未だ無いだろうから
車でマリリンを連れて行こうと
今から楽しみな私である。

昼食に出された幕の内弁当でも

 四国中央市に在る
仙龍寺のお嬢から、

 ー 先生、スラスラ文章が書けて良いな~ ー

と、羨ましがられたが。

 別段、私は物書きではないので
気張らなくても良いから
スラスラ書けるのである。

 此れが本職の歯科ともなれば
かような訳には往かぬ。
悩んで、悩んで、悩みぬいて
毎日、患者さんに向かい合っている。

 文章の素人であればこそのである。
此の間の会合で
出された仕出しの幕の内弁当でも
原稿用紙に10枚位は
軽く書ける素人の戯れ事である。

高松インプラントセンター その6

 1996年に設立されました私のインプラントセンターは、
当時は私がノーベルファアマ社(現在のノーベルバイオケア社)の
ブローネマルクシステムインプラントのコース.インストラクターとして
講習会を開催していた事をきっかけとしたものでした。

 当時は、インプラントの講習会は
ベーシックコースは、
東京歯科大学と日本歯科大学の二校と、
小宮山弥太郎博士が担当しており、
実際の患者さんによる臨床コースを
赤坂の寺西先生、
当時は神戸元町で開業されていた
伊藤雄策先生が始められ、
其のご縁で私も
ブローネマルクシステムの講演活動に
入った訳です。

 其の後、SJCDのメンバーである事が理由ではありませんが、
寺西先生、伊藤先生と伴に私も
臨床も講演活動もアストラ重点を移す様になりました。

 私は歯周補綴の洗礼を受けた歯科医です。
此れはレイモンドキム先生の弟子である事の証しですが、
此の事が、私共のインプラント治療の根幹となっている事は
事実であります。

 今は、アストラ、ストローマンのインプラントを
中心に臨床応用しています。

 但し、インプラント治療に於いて
最も大切なのは、
診断と治療計画だと思っています。

 3D画像に頼った診断は
大変危険な愚かな行為だと
私は断言します。

 今、私のインプラントセンターでは
インプラントと骨の結合に関して、
力応力を配慮した研究に取り組んでいます。

叩き上げの独り言

 若い歯科医の先生であるから
致し方ないのかもしれないが。

 よくホームページにて
【〇〇先生の講習会を受講しました】
等の能書きを目にする。

 講習会で他人の話を聴いたのと
自分が出来るとは大違いである事に
早く気が付かねばならない。

 【〇〇としたインプラント治療を得意としております!】
結構な事である。
仕事は、素人の戯れ事ではない。
国家試験に合格する事と
プロの仕事と云うものは
明らかに違うものである。

 モヤシの様な歯科医が増えてしまった。

 今は歯科界の信頼を取り戻す為に、
否、
インプラント治療の信頼を回復するために
基本の基本に帰った
インプラント治療を行わねばならぬ。

うどん県 それだけじゃない香川県

 私は高松で
産まれ、育った訳ではない。

 が、縁が在って
此の地に診療所を設けた。

 歯科の仕事に夢中であった。
休日には県外へと出掛けるか、
家で疲れを癒すので
精一杯で、
此の地を
彼是、探索する暇など無かった。

 昨日、用在って
空港迄、出向いて行った。

 到着ロビーの
観光客向けのコーナーに
処狭しと置いてある
パンフレットが目に入った。

 家に持ち帰り
足下でじゃれている
マリリンの相手も他所に
【うどん県 それだけじゃない香川県】
と、書かれたパンフレットに

 ー 上手い事 云うものだー

と、感心しながら
つい頁を捲っていた。

 来年は、
四国霊場開創1200年の
記念の年である様だ。
即ち、四国八十八ヵ所霊場が
弘法大師空海42歳の時に
開創されて1200年と云う訳である。

 来年は、
ゆっくり身体休めも兼ねて
お遍路にでも
マリリンを伴って
出掛けてみるとしよう。

歯科医院の清潔度合いの見分けかた

 ホームページと云うものは
大変便利なものである。
嫌、作り手にとって
都合よく出来ていると
言った方が良いかもしれぬ。

 まあ、其も良かろう。

 【徹底した衛生管理をしています。】
最近、歯科医院のホームページで
よく目にする台詞である。

 通っておられる歯科医院の
診療台には
水やエアーの出る
鉄砲の様な器具が
付属されている。

 此の器具を
スリーウェイ.シリンジと云う。

 診療で椅子に座らされた時に
まずもって、
診療台のテーブルの上を確認する。

 トレーの上に
滅菌パックに包まれた器具が
確認されたら
第1関門は通過。

 続いて、歯を削る時に使う
キィーンと音がするタービンやエンジンが
此れも滅菌パックに包まれていたら
第2関門は通過。

 そこで、治療の際に
先程のスリーウェイ.シリンジも
滅菌パックに包まれた状態か
使い捨てであったなら
次の関所も通過である。

 紙コップ、紙エプロン等
当たり前の当たり前である。

 神経を採る治療、虫歯を削る治療で
口一杯に薄いゴムのシートを
使かうのを確認して、
更なる関所が通過である。

 関所で引っ掛かれば
此れ即ち、
不潔な歯科医院の証しと云えよう。

母娘

 今日は恐らく、
仙龍寺の二人姉妹が
オペラのリサイタルにて
ステージに立ち
唄う日である。

 朝から準備で
さぞかしカシマシイ光景であろう。

 母親である寺の女将は
気遣い、心遣いの人である。

 私は常日頃、
互いの子供の愚痴を
語り合い、
互いの子からは
同類、傷を舐めあってと、
茶化す様にからかわれているが、
其れでも、
女将の姿には
娘たちへの
熱い愛情が感じられ
誠に心温まる想いである。

 私は男であるから
母娘の互いの接し方は
よく判らない。

 女将の娘への補佐の
方略を、
お不動様も
笑って眺めているに違いない。

何気ない日常

 私の朝は早い。
日常の決まりごとを
一通り済ませて、
新聞を眺めながら
久方ぶりに
テレビのスイッチを入れた。

 懐かしいメロディーが
耳に入ってきたので
画面に目を遣った。

 NHkの地方局が造る番組であった。
熊谷市の外れの、
聖天宮の参道にある
小さな団子屋の父娘の
物語であった。

 来月には他県に嫁ぐ
年頃の一人娘と、
年老いた団子職人の父であった。

 朝早くから
二人は団子を造る。
娘が父の手伝いをする迄は
父は長年、独りで
同じ事を繰り返していた。

 娘が父の手伝いをする様になっても
職人たる父の日常は変わらない。

 が、来月からは
父は再び
独りで同じ作業を
繰り返す。

 今、娘と伴に
団子を造る時間を
噛み締めたいと
此の父は語っていた。

 夕刻の6時に
聖天宮の鐘が鳴る。
此れは、先代から
此の団子屋の人間が
寺から任されていた
此れも日常である。

 ある時から
鐘突きは父から娘に
託された。

 今日は二人で行くかと
娘に語る父の背中が
小さく映った。

 普通に暮らせ。
6時になったら、
何時ものように
父は鐘をついているからと、
娘に語る父に
想わず、
目頭が熱くなった私である。

 親とは其のような
生き物である。

機械音痴には

 見掛けに依らず、
私は筋金入りの機械音痴である。

 今日からブログは
アメブロからワードプレスに変わった。

 使っている機械は
同じであるが、
フォーマットが違うので
瞳に入る画面が変わってしまった。

 此れだけで、
私にとっては
大変な苦痛を味わっている。

 何時ものように
文章が浮かんで来ない。

 今、私は二重の苦しみを味わっている。