その時の勢いに押されて、或いは成り行きなりで動いた時には、録な結果を生みません。
物事を眺めるにしても、全方向から、加えて現状、過去の挙動、将来的な事柄についてを配慮しなければなりません。
将来的な事柄については、願望ではなく、予想でもなく、確定的な予知でなければなりません。
その様な意味合いに於いて、歯科医学とは最も適したオンザジョブトレーニングの実際です。
その修得度合いによって、歯科医の治療成績は大きく異なります。
ズット歯科の仕事に向かい合って得た、私の財産です。
その時の勢いに押されて、或いは成り行きなりで動いた時には、録な結果を生みません。
物事を眺めるにしても、全方向から、加えて現状、過去の挙動、将来的な事柄についてを配慮しなければなりません。
将来的な事柄については、願望ではなく、予想でもなく、確定的な予知でなければなりません。
その様な意味合いに於いて、歯科医学とは最も適したオンザジョブトレーニングの実際です。
その修得度合いによって、歯科医の治療成績は大きく異なります。
ズット歯科の仕事に向かい合って得た、私の財産です。
仕事の性格上、気持ちを患者さんなり治療に対して注入することが
とても大切であることに、当たり前の話なんですが、気づいたのは歯科医の新人時代の頃です。
情のない仕事はしたくありません。
情熱に溢れた歯科医でありたいと思っています。
医者が患者さんへの一言一言は、とても注意する必要があります。
約束を果すことが大切だからです。
確りと診たてて、耳障りの悪い事柄も正直にお話しすることが
将来的な信頼関係が構築できるからです。
毎朝、朝刊の占い欄に一喜一憂する私です。
頭では判っているのですが、つい気になって、その日の有り様に期待したり、警戒したり。
自分でいうのもなんですが、私は信仰心のアツい方だと思います。
神様、仏様の存在も信じています。
科学を越えた不思議な力の存在も信じています。
が、科学を越えた力とは眼には見えない、耳には聞こえないものであり、
根拠に裏づけられた確たるものが科学であります。
私が自分以外の人と関わる場合、特に仕事に於いては
科学に裏づけされた方法、言葉しか用いません。
それがプロフェッショナルであると信じています。
但し、決して眼には見えない、耳には聞こえないんですが、
気合いなり、情の大きさも重要なエッセンスになるのは間違いありません。
決意なり、約束なり、情の大きさに結局の処は左右されるのだと思っています。
そのような意味合いから、私は融通の利かない石頭の古い人間なのかもしれません。
受け取り方は様々ですが、一本の筋の通った人でありたいと思います。
物事の器用.不器用は確かにあるでしょうが、
最終的には続ける忍耐とバカになることが大切ではないのかと感じます。
途中で状況が変わったから等とか、こんな筈ではなかったから等と言っていれば
真っ直ぐに目標を目指して歩いて行く事はできません。
他人目からバカにされようが、アホウと思われようが、
途中で折れると、ナゼかそんな癖がついてしまいます。
弁がたつ人の理論説法よりも、小さな些細な事柄でも、物事を続けて何かを成したる人の姿は
説得力があり、心に響く重みを感じます。
何事も自分の目で、耳で、手触りで確認しての繰り返しから得た経験からくる直感こそが
信じるに値する真実であると思います。
その感覚を得るためには、継続することこそしかありません。
動かぬ力は、不器用なとは思いません。
そのように生きてきた人間には、そのように生きている人間の匂いは判ります。
コツコツと、愚鈍さは大切な資質だと思います。
机上のレントゲン写真とズット、ニラメッコしています。
私の診療所へお越しになる前に3件の歯科医へと行かれたそうです。
何処でも、抜いてインプラントにしましょう!と当然のように勧められたのだそうです。
この患者さんの血液所見は未だ出ていません。
ですから、詳細は未だハッキリ言えませんが、
噛み合わせ状況、レントゲン写真だけでも、
インプラント治療、ブリッジ、部分入れ歯のどの治療を患者さんにお勧めすべきか
悩みに悩んでいます。
いろんな事柄が診えてきます。
こうすれば恐らくあぁなるだろう!
で、こうすれば、あぁなってしまうだろう?
う~ん!と、ズット頭から離れません。
診断と治療計画が決定すれば、治療の大半は終わったことになります。
ここで妥協は禁物!
似たような昔の症例の治療データーを取り出して確認してみたり、
朝から晩まで、ゴソゴソ絶えない私です。
最近は物忘れがひどくなり、情けない想いがします。
が、昔の事はつい最近の事のように覚えているのは、やはり歳の精でしょうか?
34年前の今日、私は日本歯科大学を受験しました。
宿のある新宿から総武線に乗り、吊り革にぶら下がって飯田橋へと向かう車窓からの外壕の水面の眩しさを鮮明に覚えています。
吐く息の白さと、富士見坂の勾配がやけに急に感じたことも昨日の事のように覚えています。
中原学校と言われる私塾的な独特の文化を感じさせられた日本歯科大学での教育を望んだ当時の私の選択は
正しかったと、この歳になってもそう思えてなりません。
あの日から振り返り観れば、なんと時間の経つことの速かったことか!
過ぎ去った過去に、多くの後悔の念を持たざるを得ないのも事実ですが、
歯科に対する姿勢だけは、何の曇りもありません。
今では、四国の地に於いて診療生活を、
加えて、雪の深い越後の地にある母校の第二番目の歯学部の後輩達へと接する生活を送ることになろうとは
当時の私に知るよしもなかったのすが、
歯科三昧の半生に喜びを感じて、
あの日から今までの時間は、既に私には残されてはいないでしょうが、
それだけに、気持ちを新たに診療生活を、大切に過ごしたいと決意する私です。
ですが、昨日は後味の悪い想いがしました。
患者さんに申し訳ない想いを味わいました。
何とか歯を残したいとの、この患者さんの想いに沿えるようにと
頑張って気合いを入れての治療に望んだのですが、
歯の底に小さな尖孔を拡大鏡で見つけ
これが痛みの原因であったとの診断はついたのですが、
抜歯しか解決策は無く‥。
無念でなりません。
前医による根の治療の際のアクシデントでしょう。
そんなこんなで、この処の私は、こんなことならモットハナから大勢の患者さんを診ていたらと、
反省頻りで、
歯を大切に思って下さる方々へのメッセージを広く届ける方法をと思案しなければなりません。
一兵卒の昔に還った積もりで、
日常の小さな些細な事柄に対しても丁寧一番を心がける決意で、
私にとっての歯科第一日とも言えるこの日に
新たなる決意で、これからを過ごすつもりです。
新潟市の郊外に【あゆみ歯科医院】という名前の個人開業の歯科があります。
高橋弘尚博士の診療所です。
私が新潟市で患者さんとして行くならば、断然この先生に治療して貰います。
人、術、道を兼ね備えた昔気質の本当の歯医者と言って良いでしょう。
派手な広告はしていませんが、この先生は間違いありません。
愛想はありませんが、決して恐くはありません。
照れ屋な性格ゆえに、取っつきにくい処はありますが、温かい情の人です。
患者さんの立場にたって治療してくれるでしょう。
オールマイティーなレベルの高い診療を常に提供しています。
このように地方に於いても、その場所、場所でキチンと治療している歯科医は必ず居ります。
自意識過剰で自画自賛のエセ名医でなく、本当の名医にかかることが
本当の予防歯科の真髄だと思っています。
で、話しは反れますが、この診療所の名前の由来について不思議に想い、
先生に問い合わせた記憶があります。
なんの事はない、博士の溺愛する猫の名前であるそうな。
こう言う処からも、見かけとは大きく異なり、単純で憎めない歯のオタクの一人であります。
歯科の治療に於いて【丁寧】と【精密な治療】をイメージしない方は居られないでしょう!
歯科医の側でも、そう思わない方は稀少だと思いますし、
また【丁寧】と【精密な治療】をと思わない歯科医は、仕事をお辞めになったほうが世のためになると思います。
その証拠に、歯科医のホームページに於いても
随分と眼鏡に飛び出したレンズがくっついたルーペを装着しながらの写真が見受けられるようになりました。
裸眼で診療するよりも、拡大下での診療の重要性が認識されているのだと確信します。
ルーペは所詮ルーペでしかありません。
より精密な治療をするのならば【マイクロスコープ顕微鏡】なくしては不可能です。
理屈も言い訳も通用しないのが、結果が全ての技術の仕事です。
【丁寧】で【精密な治療】の最低条件が【マイクロスコープ顕微鏡】です。
高松市にトアル歯科医院があり、ホームページなんかでは結構強きの主張をして居られますので、
キチンとした考えの基での治療を為さって居られると思い、
何人かは秘かにご紹介する機会があったのですが、
この1年位でしょうか?
其処で治療を受けたる患者さんを治療する機会が増えて、
私としては其の歯科医にたいする評価を全く変えなければならない破目となりました。
私らインプラントで長い間生きてきた人間にとっては、かような若い先生に対しては暖かい目で見守る積もりでおりましたが、
ご本人のご本人にたいする評価を、この際もう一度ご確認されることが必要と感じざるを得ない治療結果を前に
いささかを通り越して怒りさへ覚えてしまうんです。
先日も、この歯科医の手によるインプラント治療のやり直し。
せっかく入れたインプラントですから、、インプラント周囲の炎症に対しては外科的に対応してインプラントの保存をはかり、
アバットメントは新しく作り替えて、仮歯も併せて新しい形のモノに。
出来上がりは、以前とはまったく違う状態になりました。
土台であるインプラントは同じですが、後は設計の違いにより別物と変わり果てます。
患者さんが私の診療所へと転院するキッカケとなった症状が治ったのは云うまでもありません。
この歯科医には申し訳ありませんが、
長い間、歯科が大好きで、歯の世界だけにドップリと浸かって過ごしてきた歯のオタクをナメテは困ります。
以前に話題となったホテルやデパートの産地偽装メニューを思い出してしまいました。
ホームページは一種の営業活動です。
正しい情報をお伝えすることは大切です。
が、書き手は好き勝手なこと書けますから、御用心!御用心!
池波正太郎の小説【剣客商売】ではありませんが、
私のような開業医もある意味に於いては、患者さんからの人気商売でもあります。
但し医師たる者は、技術が一番であって、それと共に人間愛がとても大切だと思って過ごしてきました。
遠くより大勢の患者さんがお越しになって下さいます。
本当にありがとうと感謝しています。
丁寧に治療に勤しんで、患者さんの期待に添いたいと思っています。
そう言う意味で私は、地元の歯科の先生方との競合は無いと認識しています。
若い時分は、鼻っぱしが太かった質ですから、同じ土俵に立つ気持ちもありませんでしたが。
昔から私は他人目が気にならない性格です。
これは仕事に精を出すのには随分と役にたちました。
私の歳になれば欲もありません。
遊びも好きなこと随分としてきて卒業したんだと思っています。
歯のナンタルかを追求する事しか興味がありません。
好きな仕事に生きてこれてつくづく果報者だと思います。
先のブログに於いて、マイクロスコープ顕微鏡が、どれ程に精確な、精密な診療をする上で
大切であるのかを述べさせて頂きました。
しかしながら、あまりにこの顕微鏡を重宝する事での落とし穴があることも併せてお話ししておかなければなりません。
木を見て森を見ず!という言葉があります。
拡大することは大切ですが、
歯科の治療に於いては、治療する歯の周辺の状況や、噛み合わせ、
粘膜の性状、唾液、モット言えば患者さんの体格から骨格、筋肉の発達状況、
とどの詰まりは、患者さんの性格も全体に渡って観る目を必要とします
それが人の身体を診る医者の使命だと思います。
何事もバランスのとれた見方ができる医者であることが大切だと考えています。
患者さんにとっての最良の鎮静剤は、どんな薬、麻酔よりも医者そのものであります。
そう言った意味に於いても、患者さんを見透す医者の目を養うことが、医者の日々の過ごしように於いては一番気をつける行いであると言って良いでしょう。