最近は物忘れがひどくなり、情けない想いがします。
が、昔の事はつい最近の事のように覚えているのは、やはり歳の精でしょうか?
34年前の今日、私は日本歯科大学を受験しました。
宿のある新宿から総武線に乗り、吊り革にぶら下がって飯田橋へと向かう車窓からの外壕の水面の眩しさを鮮明に覚えています。
吐く息の白さと、富士見坂の勾配がやけに急に感じたことも昨日の事のように覚えています。
中原学校と言われる私塾的な独特の文化を感じさせられた日本歯科大学での教育を望んだ当時の私の選択は
正しかったと、この歳になってもそう思えてなりません。
あの日から振り返り観れば、なんと時間の経つことの速かったことか!
過ぎ去った過去に、多くの後悔の念を持たざるを得ないのも事実ですが、
歯科に対する姿勢だけは、何の曇りもありません。
今では、四国の地に於いて診療生活を、
加えて、雪の深い越後の地にある母校の第二番目の歯学部の後輩達へと接する生活を送ることになろうとは
当時の私に知るよしもなかったのすが、
歯科三昧の半生に喜びを感じて、
あの日から今までの時間は、既に私には残されてはいないでしょうが、
それだけに、気持ちを新たに診療生活を、大切に過ごしたいと決意する私です。
ですが、昨日は後味の悪い想いがしました。
患者さんに申し訳ない想いを味わいました。
何とか歯を残したいとの、この患者さんの想いに沿えるようにと
頑張って気合いを入れての治療に望んだのですが、
歯の底に小さな尖孔を拡大鏡で見つけ
これが痛みの原因であったとの診断はついたのですが、
抜歯しか解決策は無く‥。
無念でなりません。
前医による根の治療の際のアクシデントでしょう。
そんなこんなで、この処の私は、こんなことならモットハナから大勢の患者さんを診ていたらと、
反省頻りで、
歯を大切に思って下さる方々へのメッセージを広く届ける方法をと思案しなければなりません。
一兵卒の昔に還った積もりで、
日常の小さな些細な事柄に対しても丁寧一番を心がける決意で、
私にとっての歯科第一日とも言えるこの日に
新たなる決意で、これからを過ごすつもりです。