カテゴリー別アーカイブ: ただの日記

診断と治療方法の決定

観るも無惨なる状況になって、

初めて、

私の診療所を思い出してくださるのでしょう。

高度に進行した歯周病に加えて、

クラウンのなかじゅうイッパイの虫歯。

序でに歯の根が折れ歯茎が腫れ、

そうでない処は、

不完全な根管治療の結末での骨の中の大きな空洞。

ご丁寧にシッカリと連結されたクラウンたち。

恐らく、

何処から手を付ければ良いものか?

そんなこんなで、

トロトロしている最中に、

患者さんから大丈夫だろうか?

と、見放され、

で、

清水の舞台から飛び降りるような気持ちで、

私の診療所の階段を上がって来られたのだと思います。

新しい患者さんの状態を診察しながら、

つくづく感じますのは。

本当に良い師匠たちに育てて頂いた幸運です。

【歯周補綴】と云う学問的ジャンルの洗礼を浴びた

私は誠に幸運であったと。

患者さんの側では、

診た瞬間に、

診断から治療方法まで、

簡潔に説明して欲しいと思うのは当たり前です。

しかし、

ここは慎重に、慎重にの姿勢を崩す訳にはいきません。

なぜなら、

初対面で、

人の全てが解る筈がないように、

その方々によって、

治り方も様々です。

将棋ではありませんが、

じっくりと、

じっくりと、

小さな小さな治療の組み合わせと、

積み重ねから得た【診えるもの】から、

初めて、

その患者さんの個性と言いましょうか?

身体の【質】が感じ採られ、

で、

そこで初めて診断と治療方法が決定されるのです。

 

 

讃美歌

何事にも勉強家である私は、

讃美歌を覚えようと云う暴挙に出たのです。

で、

CDをと探してみたら、

あまりの種類の少なさと、

コチラの知識の不足ゆえに、

【音羽ゆりかご隊】の子どもの唄う讃美歌くらいしか

見つけることができず、

大いに苦慮したのです。

50も半ばになって、

教会で子どもが唄う歌を覚えるのには気が退けて、

いよいよ困ったと云う時に、

神様の助けてでしょうか?

グレゴリオ聖歌集と云うモノを見つけたのです。

で、

先ほど宅急便にて届き、

封を開けて、

中の解説にサッと眼を通し、

そうしたら、

もう私の性格からすれば、

直ぐに聴いてみたいと。

ちょうど良い具合に、

今から抜歯の患者さん。

患者さんからすれば治療が怖いに違いない。

さすれば、

癒しのための音楽がと。

無理やり讃美歌にもっていったのです。

で、

どうでしたかって?

患者さんは、

歌をバックに眠って居られました。

かく云う私も、

私の抜歯はスピーディーだから良いものの、

長い治療であれば、

確実に私も眠りに入っていたでしょう。

今度、

司祭さまに聞いてみましょう。

心震わし、感動するような讃美歌って何でしょうか?

昔、

ノートルダム寺院を訪れたる際に、

寺院の中を響きわたる讃美歌に感動したのです。

あのような讃美歌を、

私は声高らかに、

風呂のなかで練習したいのです。

親バカ

朝から、

気合いを入れて【根管治療】。

上の側切歯です。

前医の為したメタルボンドクラウンを外し、

慎重に、慎重に、

メタルコアを外し、

で、

古い根管充填材を取り除き、

マイクロスコープにて、

恐る恐る、

根管の先っぽを視ると、

アヤー!

破壊され尽くされ、

ズボズボ状態になった哀れなる根尖孔が。

当然のことながら、

歯質は薄くなるまでメタルコアのために削られているのです。

若い先生なら抜いてインプラントって処でしょう。

へそ曲がりの私です。

と云うか、

私は【歯科保存学】の【ありがたさ】を、

この頃ますます実感するのです。

一生懸命やっても、

10年モタナイかもしれません。

でも、

10年長生きできたとも言えるでしょう。

その間に、

歯科医学の進歩なり、

私の進歩があるかもしれません。

そこから再び10年モタセられるかもしれません。

抜くのは最後の最後だと、

私は決めています。

そんなこんな治療を終えて、

ふと、

せがれに電話をいれたら珍しく、

どうしたん?父ちゃん、と。

何でも今、午後の授業前の昼休みなのだそうな。

親は必死で働いて、

せがれは余裕綽々と云う、

大いなる矛盾を覚えつつ、

自分もそうであったことを

これまた大いに自覚していますので、

心内には触れずに、

飯食ったか?

と云う何時もの台詞で、

また午後の診察へと舞い戻ったのです。

私の新潟

呑気気分で新潟の花火の話しをしたものの、

お昼のニュースにて、

新潟が大雨で大変な模様!

いつも歩いて渡る萬代橋や、

信濃川沿いのやすらぎ堤が冠水し、

アヤー!

と。

そういえば、

新潟に住んで居りました折りの、

あの足元から吹き上げてくる雨には参りましたのを

思い出したのです。

雨はお天頭さまの方から落ちてくるものと、

新潟に住みますまでは、

そう思っておりました。

日本海からの風の強さを

思い知ったのです。

かように酷しい気候の新潟ですが、

住めばそれはそれで慣れてくるのが不思議です。

北国の夏は短いのですが、

フェーン現象のお蔭で、

これまた厳しい猛暑を迎えるのです。

でも、

私は新潟が好きです。

ささやかな夢物語

梅雨明けもまだで、

といって、

ロクロク目立った降雨もなく、

で、

気温だけは35度にも。

こんな真夏日は、

ついつい新潟の花火が観たいなと、

信濃川に架かる萬代橋周辺に

大空高く、

今にも頭上に降り注ぐような新潟の花火大会の日の

街の匂いが鼻腔いっぱいに甦ってきます。

歳を老いても現役で居られ、

で、

もし叶うのならば、

生涯を終える前の2年くらいだけで構いませんから、

どうか神様、

この第2の故郷である新潟にて、

ゆっくりと過ごせますように。

それまで、

この街が、

いつまでも大切なモノを失うことなく、

越後で在り続けますようにと。

何処に出かけても、

目に入る風景が同じになったこの国ですが。

まだまだ越後は越後のままだと、

私には少なくとも、

そう観えますので。

進歩

昨日は朝のミサに出向いていました。

初心者の私ですから、

退職前にミッション系の幼稚園で先生をお勤めになられていたと云う

優しい女性信者さんが、

毎度、毎度、

面倒なお顔もせず、

よく面倒を看て下さいます。

で、

朝から気分爽快!

声高らか!に、

みんなで讃美歌を唄い、

あぁ、良い心持ちとなったのです。

でも、

帰宅に至る車中にて、

聞く音楽は、

相変わらず、

都はるみと石川さゆり。

しかしながら、

ますます気分爽快となったのは言うまでもありません。

気分が良いのも、

苦しいのも、

怒りも、

いろんな感情が在りますが、

これも生きている証です。

残念なことに、

生きたくても、

今、命を失う方も居られます。

生きているのも、

生かされていると感謝できるようになったのは、

私なりの多少の進歩かもしれません。

どうせ生きるなら、

誰かのお役にたてるようにと。

しかしながら別段、特技の在るわけでなく、

私には歯科の仕事くらいしかありませんので。

精一杯、努めさせて頂こうと。

ヤハリ進歩のない私でしょうか?

思い出

【人間商売】をこれだけ長い間やっておりますと、

本当に、

いろんな方々との出会いが在りました。

で、

つくづく感じますのは、

今在る自分と云うものは、

若い時分に、

どれだけ大勢の方々と関わり合いを持つ機会に恵まれたのか、

それで決まって来たような気がする、

と云うことです。

個性豊かな方々が、

結局の処は、

私の生きる羅針盤になって下さったと、

大勢のお顔を思い出しながら、

感謝しています。

ふと、

周囲を見渡すと、

みんなが同じことばかり。

みんながスマホ。

みんなが同じ歩調で。

みんなが同じテレビドラマを。

本当にそれで良いのでしょうか?

【ひと皆直行、我独り横行】

著名な書道家であった故 榊漠山先生の遺された有名な言葉です。

先生には本当に可愛がって頂きました。

晩年、先生は、

伊賀上野の山の中の邸にて、

奥方様とお二人で過ごされて居られました。

時々にお伺い致しました際には、

奥方様が美味しい季節の果物やお菓子でもって

もてなして下さったのですが、

お台所へと奥方様の姿が消えた瞬間、

私はササッと、

鞄の中からテーブルの下から先生の厚い掌に

あるものをお渡しするのです。

札束なんかじゃありませんよ。

先生のご自宅は、

山の中の田舎屋などではありませんもの。

それはそれは品格の良い大屋敷でいらっしゃいましたから。

若い私の大金など、

先生にとっては端金に過ぎなかったでしょうから。

頂きものは、

むしろ私の方が、

先生から多くの物を頂いたと思います。

先生の描かれた絵。

書。

生きる上での心がけ。

一番に思い出深いのは、

【一生懸命働きなさい、一生懸命芸の道に埋もれなさい】

先生から頂いた葉書には、

先生独特の書体でイッパイに書かれ、

私は手にして涙したものでした。

私の生きようは、

ぶれてはいないと自負しています。

それは、

その時々に、

個性豊かな巨人、奇人?の方々が

支えて下さったからだと思います。

で、

私が先生に手渡していた品ですか?

これはレトロな写真集とだけ申し上げておきましょう。

決して女性には判らないものです。

そういう悪戯心が、

男同士には通じる何かが在るのですよ。

昔、イッパイ夫婦喧嘩をしたものでした。

その際に、

私がどれだけ自己中で、勝手で、変わり者であるのかを

散々の台詞でもって、

ぶつけられたものです。

今になって思うのです。

それは判っていた筈じゃない?って。

私がみんなと同じようにできる筈ないでしょ?

穏やかな日々

もう7月です。

今年も後半戦へと。

年々、時が経つのを速く感じます。

これは歳をとった証拠なのだそうです。

明日の朝は、

教会へ出かけようと。

9時半から11時半までのミサです。

私は岡山県の牛窓の教会に縁を得ました。

ノートルダム清心学園の三宅聖子シスターのご厚意にて、

のどかな瀬戸内に面した小さな教会へと通うようになりました。

環境と同じように、

穏やかな心で、

患者さんをお迎えして、

歯科を通じてお役にたちたいと思います。

私には歯科しか、ありませんので。

とは言へ、

せがれがキチンと一本立ちできるようになるまで、

ご先祖様のお仏壇は私が守らねばなりませんので、

朝のお務めも、

いつものようにと。

そんなこんな日々を送っています。

それでも私は待ちます

もうインプラントを埋め込む手術をして

6か月を迎えようとしています。

患者さんには申し訳ないのですが、

上は仮の総入れ歯をお使い頂いています。

私の造る総入れ歯は【吸着】しますので、

普通の食生活にはご不自由はないそうです。

仮の総入れ歯の期間に、

私は噛み合わせの最後の仕上げを見つけています。

噛み合う高さ、

顔貌の高さ、

顔の左右対称性、

噛み癖、

などなど、

仮の総入れ歯の中に、

ソレラの情報をシッカリと刻んでゆくのです。

で、

やっと次回は2次手術に行こう!と、

患者さんに申し上げました。

で、

再び、

歯茎が固まるのを待って、

アバットメントを選ぶ積もりです。

この頃、

歯科医師も患者さんの側も、

急ぎ過ぎ!急ぎ過ぎ!

骨も歯肉も、

人間の都合に併せて治ってはくれません。

治療です。

治るのを待って。

それが治療の大原則だと私は考えています。

このような症例において、

インプラントを埋め込む手術をした日に

直ちに仮のブリッジをいれると云う治療方法も

【○○4】とか、なんとかって宣伝されていますが、

私は絶対に認めません。

理由ですか?

全ての局面においてです。

人は神様を凌駕できる筈ありませんから。

いつまでもミーハーな私は

この頃ハマっているドラマが在ります。

【NCIS】ネイビー科学捜班と云うアメリカの人気テレビドラマです。

主人公である白髪のギブス捜査官が格好良いのです。

彼は謂わば【鬼平】の白人バージョンと言って良いでしょう。

番組を観終わったあと、

清々しい気持ちになるのです。

幼い頃からミーハーの代表のような私です。

Tシャツも、

パーカーも、

キャップも。

【NCIS】であるのは云うまでもありません。