カテゴリー別アーカイブ: ただの日記

テスト前

中学1年の娘が期末試験に差し掛かり、

これは間違いなく、

私の血を受け継いでいるのでしょう。

直前になって慌ておののき、

寮に居ては自力では間に合わぬと、

毎朝5時起床の6時発の電車で通うと云うこの頃。

で、

私は50も半ばですよ。

国語文法のテキストを開いては、

活用ある、活用ない、

ウーは動詞。

イーで終わるは形容詞。

ダで終わるは形容動詞。

はたまた、

美術のテキスト開いては、

ルネッサンスはダ・ビンチ、ラファエル、ミケランジェロと。

歯学で一色に染まった脳髄に、

中学9科目は相当キツイのが正直な処です。

質問されて即決答えられない際などには、

逆に、

パパは本当に博士なの?

で、

バスケットボールのルールを消化しようとした直後に、

ついに脳髄が爆発したのです。

仕事もキツイが、

テストも怖い。

あぁ、大人で良かったと

そんな近況です。

その時々の眼

祖母は明治の生まれでした。

杉野!杉野!杉野は何処?

井戸から水を汲み上げ、

米をとぎながらの、

日露戦争の軍神と唱われた広瀬中佐を称える軍歌は

幼い私を余程にも感動させたのでしょう。

今でも鮮明に鼓膜に残っています。

そんな話しを子どもたちにすると、

怪訝な表情にて、

いつの人間?

って返されるのが常となりました。

それが、

昭和から平成へと時代は大きく変わり、

私の価値観は、

極々稀なる少数派と、

変人扱いされる一方です。

来年には、

新しい年号が発表されるそうな。

ますます古い人間になってゆくのを実感します。

それでも、

流行り廃りのある治療にだけは

手を付けなくて良かったと、

安堵する機会が多いのも事実です。

マイクロスコープを使った

大拡大視野の診療が私の普通になりました。

改めて、

丁寧仕事に徹した昔ながらの手作業の方が、

効率は悪いけれども、

綺麗な結果が得られていることを確認するにつけ、

古くても確かな治療の方が、

断然、

患者さんのためになると確信するのです。

他からは、

最先端の歯科治療を実践していると

思われているようですが、

それは大きな勘違いであり、

本来は、

アメリカンナソロジーの時代の歯科治療を

忠実に守っているのが、

私の診療所の特徴なのですが。

見えるものと、

診えるものは、

全然違うのだと、

また、

診えることと、

できることも、

全く違うのだと、

声を大に言いたい心境です。

50半ばの私ですが、

10年先は10年先の、

20年先は20年先の、

眼が、

養えるように、

日々研鑽と、

戒めて、

歯を楽しみながら過ごしています。

 

どっちもどっち

母校の後輩歯科医師から

治療のアドバイスを求められ、

彼を悩ます症例の写真と資料を見せて貰い、

最近つとに丸くなったと言われる私ですが、

だんだんと腹が立つのを自覚していました。

いかん、いかん。

後輩と云うことでの可愛さから、

腹が立つのでしょうが、

愛情あまって、

お相撲さんみたいになってはならぬと。

どうですか?

やはり丸くなったでしょう?

彼に言いました。

一つ一つの手順ですが、

私らは大学で、

そのようなことは教えていませんが。

患者さんの口腔の模型は?

レントゲンは最低でも14枚法では?

なぜ根管治療や虫歯の修復に

ラバーダムしないの?

確認のレントゲンはどこ?

治療する以前の、診断の根拠は?

君は海図を持たないで、

航海に出かけるんか?

怒ったらダメなんです。

諭すように、

気づくように、

歯の不思議さに興味を抱くように。

それが、

今の人たちへの教育の仕方です。

私の時代ですか?

馬鹿野郎!って

ぶん殴るられてましたね。

相撲界のテレビの報道に、

どっちもどっちと。

 

 

もう12月ですね

窓の向こう側の街路樹も

すっかり葉を落としてしまいました。

弱々しい日射しに

もの悲しい気持ちになります。

と言ってもいられません。

元気を出さねばなりません。

予約表を見れば、

患者さんお一人お一人のお顔が

目に浮かびます。

頼って御出で下さるのですから。

もの想いに耽る暇などありません。

先月読んだ論文を

ノートに纏めたものを

スクラップブックに整頓し、

今日からの肥やしにしなければと。

なんだかんだ言いながら、

クリスマスから大晦日、

そして新年へと

押し立てられるように

時が過ぎて行くのでしょう。

 

ジャンプ

日本歯科大学44回卒業と言えば、

私らからすれば、

直立不動の最敬礼もので、

とてもじゃないですが、

全く頭が上がりません。

とっくの昔に創立100周年の記念行事を終へ、

今の学生諸君などから、

76回卒業の私らの世代は、

既にお爺ちゃん扱いですから。

今朝、

この大先輩にお電話をいれさせて頂いたのです。

ぶった曲げたのです!

お歳暮を頂いたからです。

本来であれば、

私が先に送らねば不敬罪に当たります。

しかし、

先生のご子息は同級生でもあり、

また、

唯一心のゆるせる親友であることから、

夏と冬の贈答品は互いに止めようと云う話しをしていたのが、

悪かった!

それは私と友人との間の話しですから。

歯科医学の門を叩いて最初の師匠は、

間違いなく、

この浅見 裕先生であることに相違ありません。

伝統の浅見歯科医院は

看板は下ろしましたが、

ご子息がキチンと大学教授として、

父上の歯科医学への熱い想いを引き継がれいます。

受話器の向こう側に、

懐かしい先生の声に胸が熱くなりました。

三枝君、

いや三枝先生か。

毎日、思い出しているよ。

何か美味しいもの食べて欲しくてね。

私は泣いていました。

18歳の頃、

歯科開業医に、

特別な歯科医師が存在することを

先生を通じて知りました。

生涯の師匠となった内藤正裕先生も、

若い時分に、

霞ヶ関の納富学校にて、

当時ライターであった浅見 裕先生の指導を受けたと、

懐かしいお顔で、

仰っておられました。

私と多くの歯科界の巨星との縁を創って下さった方が、

浅見 裕先生ご夫妻でありました。

私のデスクの脇に、

先生から頂いた色紙を置いて、

毎日、

眺めています。

【柳に風】

18歳で、

歯科医学のいろはも判らない私に

頂点を見ろと、

心構えを伝えて下さった最初の師匠です。

それからと云うももの、

お月様へぴょんぴょんジャンプする兎が

私の30年でした。

どこまでジャンプして良いのやら。

テッペンは全く見えません。

私の好きな讃美歌の中の【栄光の讃歌】が在ります。

出だしの、

天のいと高きところに~。

生涯、テッペンが見えないことを

この頃判るようになりました。

愚か者でも構いません。

それでも私はジャンプし続ける積もりです。

 

 

もう一度立ち止まる

歯肉を切開開いて、

骨と痛々しい歯の状況を

直接に確認した上で、

昨日、

とある患者さんに、

歯の残せないことをお伝えしました。

多数の歯です。

悲しくて、

悲しくてなりませんでした。

昼前の出来事です。

それから一時も頭から離れません。

53歳の女性です。

いくらなんでも、

総入れ歯は早すぎる!

なんとか出来ないモノかと。

事の大小を問わず、

私の仕事は、

悩みと、

考えること、

背中合わせの毎日です。

患者さんの症状が頭から離れることはありません。

フラリと、

暗い夜道に教会の尖塔が

車の窓越しに見えました。

ハンドルをターンし、

初めて訪れる教会のドアを

おそるおそる開きました。

マリアさまが居られたので、

カトリックの教会であることが判りました。

薄暗く、

冷たい礼拝堂の最後尾の椅子に腰掛けました。

どのくらいの間、

座っていたのかは覚えていません。

今朝、

思いたったのです。

昨日の患者さんに電話しようと。

できれば、

今日の最後の患者さんの後にでも

お越し頂きたいと。

もう一度、

指先にて丁寧に歯肉の感触を確かめよう。

もう一度、

もっと精密なレントゲン撮影方法を考えて、

丁寧に骨のとっかかりを探してみよう。

この患者さんは、

恐らく、

昨夜は悲しい想いで、

床に就いたに違いありません。

萎縮する骨の原因は、

患者さん自身に責任はありません。

歯科医師たる私は、

そう確信しています。

と言って、

現在の医学では、

歯の根の周囲を

いっぱいの骨で満たすことはできません。

考古学者が、

広大な砂漠から、

あるヒントに閃きを得て、

砂を丁寧に筆で払って、

太古の遺跡を顕にするようなもの。

それが、

このような患者さんに対する手当てだと。

受話器の向こう側から、

患者さんは仰いました。

必ず参ります。

私の能力を振り絞るのは、

今からだと、

ある覚悟を決めたのです。

最後の手前で、

もう一度立ち止まる。

それが必要な医師の慎重さだと。

 

奥歯のインプラント修復

この頃、

15年降りくらいに、

奥歯のインプラント修復の一部を

スクリュー固定式に変えています。

特に、

インプラントにての1本だけの単独で修復する症例です。

修復対象歯以外の歯の噛み合い面を見て下さい。

人体の中でも最も硬いエナメル質が摩り減って

歯の外形は損なっています。

よく観ると、

摩り減り方に規則性が在るようです。

所謂、

噛み癖ってヤツですね。

このような患者さんに

セラミックやジルコニアなどの

使用は控えるべきでしょう。

延性のある金属が最適応だと思います。

噛み方は色々です。

咀嚼する時の噛み方。

睡眠時の食いしばりの際の上下の歯の接触の仕方。

全く違います。

金属と云う延性材料の方が

身体に併せてくれることは、

私ら治療サイドからすればありがたいのです。

人工歯のど真ん中に煙突のような孔があるでしょう?

ここに太いスクリューが入り込んで、

インプラント体と人工歯を連結します。

メンテナンスの際には、

スクリューの固定具合を確認するのです。

大きな負荷が人工歯に懸かれば、

スクリューは緩みます。

その際には、

噛み合わせの調整が必要だと云う合図です。

また、

インプラント周囲の歯肉を厳密に清掃したい時には、

人工歯のスクリューを緩めて、

人工歯を外し、

清掃器具を直接インプラント周辺まで

行き綿ら去ることができます。

金属の歯がグレーであるのは、

鋳造しての、

研磨前のそのままの状態だからです。

試適して、

噛み合わせ面の微調整を

これから行って、

最終研磨のあと、

マイクロ粒子のガラスビーズを噴射して、

せっかくの研磨面を曇らせます。

噛み合う面と向き合う歯が接触する部分が、

研磨されて光沢を帯びます。

私が当たって欲しい処だけが光るのは稀です。

顎の骨は大きくたわみます。

当たって欲しくない部分が光る場合って多いんですよ。

そこは大きなストレス箇所ですから、

調整削除します。

時代の先端は、

審美、審美に一辺倒!

でも、

私は安定して経過の方を選びますね。

今こそ大学の存在価値が問われると

究極のところ、

歯科治療の長期成功は

【炎症と力のコントロール】に

尽きることを実感しています。

で、

炎症のコントロールには、

患者さんの全身状態と密接な関係にある唾液との関わり。

力のコントロールには、

個々の歯の並びの連続性を保つこと。

しかしながら、

これらを満たすことは

とてもとても大変な作業です。

全体状態の把握については、

医師の眼を持たねばなりません。

患者さんの健康への関心度合いも

避けては通れません。

健康維持には、

生活の質の向上が必須ですから。

睡眠の質、

食生活、

ストレスとの上手な付き合い方、

色々な要素が絡み合うことを

我々、

患者さんともに、

大きな意識改革が必要です。

力のコントロールにおいても、

生活の質の向上は、

大きな要素になります。

複雑化した社会生活を営まねばならない昨今、

ストレスのない生活などできないでしょう。

ストレスの発散の1手段としての、

睡眠時の【噛み締め・食いしばり】を

私は否定しません。

この自然行為を防止すると、

ストレス発散の手当てを失うからです。

が、

歯の番人たる歯科医師にとっては、

厄介な行為であることは間違いありません。

その矛盾に対する手当てを

その患者さん個人個人に対応することが、

歯科医師の腕の見せ所と思います。

とは言え、

50半ばになった私も、

日々、

難問に直面し四苦八苦しているのが現状です。

歯科大学の使命が、

これらの研究にあると、

私は実感しています。

私の母校である日本歯科大学は、

我が国における最初で最大の歯科大学です。

今こそ、

母校であるからこそ、

それらの問題解決のために

研究者全体が気づいて欲しい、

そのように思います。

超高齢化社会の現実に

市井の歯科開業医である私は、

患者さんに寄り添うことが使命だと、

肝に命じて来ました。

ですから、

流れ作業的な効率的な歯科治療だけは

避けて、

患者さんに入り込む姿勢での歯科治療を行ってきた積もりです。

その結果、

患者さんの置かれた家族環境なり、

精神状況を、

私の診療所で吐き出すことで、

患者さん側は気持ちが楽になられ、

私の側としては、

諸般の事情を鑑み、

口腔の健康維持に努める手当てを模索して来ました。

最近では若い世代の患者さんが大勢いらっしゃいます。

勢いあるエネルギーに満ちた人たちを

羨ましく感じることもあります。

しかしながら、

彼らもいつか歳老いることを

忘れてはなりません。

長い期間の主治医として大勢の患者さんと関わり、

老いることを

肌身に痛いほどに感じています。

親の介護する60代の多いこと。

配偶者の介護に四苦八苦する80代の多いこと。

当然、

介護する側の方も、

若い頃には想像もしなかった

体力の低下、

持病との付き合いであったり戦いに、

過ごし方に工夫を強いられいます。

私は歳をとって老いることが

恐ろしくて、

恐ろしくてならなくなりました。

将来の自分を観るようで、

どうしたモノかと、

秘かに心を悩ませています。

歯科治療を行うに際して、

老いることと共存できる修復する。

それが私の大きな関心事になったのは

自然発生的な事です。

法隆寺や東大寺などの古い建造物は、

人間の寿命を遥かに越えた

長い風雪に堪えて、

今日の私たちに、

その姿を見せてくれます。

若い歯科医師たちに、

【考える修復】と云う言葉を発して来ました。

私自身も、

常に、

どうやって治すのか?

と共に、

どうしてこのような状態になったのか?

なぜ?なぜ?

考えながらの診療生活を過ごして来ました。

しかし、

考えを、

もう一歩、

前へ進める必要があるようです。

老いとの共存できる歯科治療。

超高齢化社会に歯科医学が貢献できる手立てが、

そこに在ることは間違いないでしょう。

 

人がやらないことをする

人がやらないことをする。

振り返って観れば、

私の生き方は、

そのようなモノだったと思います。

他人から観れば、

とても効率の悪い生き方かもしれません。

しかし、

それは自惚れやプライドの高さとは

別の意味合いでの、

自信を得たように思います。

謙虚さは失ってはなりません。

しかし併せて、

自信を持つことも大切であると思います。

謙虚さと自信を

併せ持つこと。

そうでなければ、

私の仕事などのような

人の身体を触ることはできませんもの。

規則正しい生活と、

素直な物事の見方、

感謝の気持ちの

積み重ねが、

少しずつ

そのような自分を造るのだと思います。

選択枝が2つ在る時には、

困難で、

苦しい道を選ぶこと。

ある時から、

それが私の決定基準になりました。

物事の結論など、

誰にも判りません。

自分の人生です。

他人の手に委ねるのではなく、

自己責任を持つために、

自信を得ることは

とても大切な要素だと思うのです。