カテゴリー別アーカイブ: ただの日記

クリスマスの日に

娘たちは、

待ちに待った冬休みを迎えたようです。

ただし、

課題を抱えて、

私へと顔を出す娘の表情に、

クリスマスと正月のある冬休みくらい、

宿題など出さんでも良いじゃない?

そんな風に思うんです。

で、

ドレドレ!

課題のテーマは?

学校からの資料に眼を通し、

私が頭を抱えこんでしまったのです。

【ハンセン氏病】についてのレポートを

纏めるのが、

命題だったのです。

私も歯科医師ですから、

一通りの解説は容易なことです。

が、

無機的な消化を嫌う私は、

どのように解釈させることが、

中学の娘にとっては重要かと、

悩んでしまいました。

天皇誕生日の日に、

所要あり広島市へと出向きました。

街はクリスマスのお祝いを前に、

家族連れや若い男女で賑わっていました。

が、

先の大戦における我が国の嘗ての指導者に対して、

平和にたいする罪で、

A級戦犯に選別された方々が、

巣鴨プリズンにて処刑された日でもあります。

皆さんは覚えておられないかもしれません。

でも、

そういう日なのです。

その日をどのように過ごすのか?

これも難しい問題だと思います。

所要の合間に、

折角ですから、

原爆ドーム前へと足をのばし、

祈りを捧げ、

記念館のドアを開けたのです。

何度かと訪れた処です。

が、

今回の訪問では、

新しい見方があることを知ったのです。

アジア、アメリカからの訪問者の姿も

多く観られたのは意外な事であったのと、

ふと耳にした言葉に

私は凍りついたのです。

日本人の側からの説明ばかりで偏っている。

そういう意見です。

戦争は国と国との武力をもっての戦いです。

痛ましい愚かな行為です。

しかし、

始まってしまった戦争は、

武人と武人との戦いに限定すべきであり、

民間人への無差別攻撃に、

アチラの言い分、

コチラの言い分など、

何を馬鹿なことをと、

私は自然と、

そう予め想定しての、

原爆と云う行為を考えてきたのです。

無差別な民間人への殺戮行為に対して、

国の立場や言い分などは言語道断であると。

が、

これは、

あくまでも私の個人的考え方でしかないのです。

人って難しいなと。

翌日のイブの日に、

混雑する駐車場に私はいました。

出車する車を待っていました。

買い物を終えて若者が車を出そうとしました。

互いに眼で合図し、

次どうぞ!

と云うタイミングにて、

古い軽自動車に乗った60代の男性が、

後ろから摘めてくるのです。

若者の車も私の車も

全く動きが取れないほどにです。

車を降りて、

この初老の男性に声をかけました。

少しだけバックして頂けませんか?

紳士の対応で接した積もりです。

が、

男性はこう言い放ちました。

嫌や!

面倒くさい!

どうしてもそうして欲しいなら、

頭を下げてお願いせぃや!

若い時分の私なら、

車から引きずり下ろしていただろうな?

そんなことを考えながら、

お願いできますか?

と、

頭を下げました。

彼はチェッっと舌打ちし、

私のBMWの7シリーズの脇を

錆び付いた車体を走らせて行きました。

妙な時代になったモンだと、

コレが今なんだと、

私の外出嫌いがますます強くなったように思います。

夜、

教会のミサに参加しました。

それで少しは心が休まったのです。

人には、

色んな物事への受け取り方や、

考え方があるようです。

思う処おおいに在りのイブの1日でした。

 

 

インプラント治療はいつもの通りに

ブログでも、

インプラント情報サイトにおいても、

最近、

私はインプラント治療について、

広く周知して頂く活動をしていません。

それは、

何もしなくても、

インプラントの患者さんは、

一向に減らないからです。

患者さんが患者さんを呼んで、

連れて来て下さるからです。

逆に、

インターネットなどの情報だけで、

私の診療所へ興味を持たれた方は、

値段の安さにしか興味がないような

印象をうけてしまうお電話ばかり。

治療には、

いろいろな方法が在ります。

また、

お電話からのお話しだけでは、

私は確かな言葉を発することができません。

序でに、

インプラント治療は私の診療所では、

毎日の普通の治療でしかありません。

ですから、

あえて、

今更トピックスってことも無いのです。

メーカーや歯科技工士さんからの情報では、

断トツで、

私の診療所のインプラント治療は多いのだそうな。

へぇ?

そうなんだ?

てな処が、

現在の私の診療所でのインプラント治療です。

最近の私

つい最近、

神父さんから頂いたミサのCDを

毎朝、

院長室にて、

聴きながら、

カトリックのお祈りの本を開き、

活字を眼で追いながら、

耳ではCDをと、

云うのが習慣になりました。

1時間くらいでしょうか?

ミサですから、

讃美歌を歌う部分も在ります。

宮田君が出勤する前ですから、

静まりかえった診療所です。

そこで、

私は声を高らかに、

歌うのです。

コレが実に気持ち良いのです。

讃美歌ですから、

詞も誠に品も良く。

心が洗われるような気持ちになるんです。

それでしょうか?

最近は、

全くのストレスフリー。

毎日の難しい症例に対しても、

自信を持って、

挑めています。

で、

以前よりも、

より繊細に、

より丁寧に。

アポイントメント帳に記載された

新患の詳細欄には、

ありゃ!

こりゃまた、難しい症例だ!

でも、

私の気持ちの持ちようは変わりました。

出来ない症例は無いのだと。

解く鍵は必ず見つけることができるのだと。

思えば、

落ち着いているからでしょう。

患者さんから観た私が、

ドッシリと安定していることが、

医療機関において1番大切な条件ですから。

私は開業医ですから、

確かに、

患者さんからの診療費を頂戴しています。

が、

私は商人ではありませんし、

また、

サービスマンではありません。

医療機関におけるホスピタリティを、

ホテルや料理屋での【おもてなし】と

勘違いしておられる医療業界の方も多いようです。

医師は治療のプロフェッショナルです。

患者さんへの、

お迎えの成しようは、

その医師の品格にて変わるものです。

医師におけるホスピタリティ。

それは絶対的安定感にあると言って良いと思います。

兜の緒を締めて、

しっかりと患者さんと向き合うこと、

それが大きく私の仕事です。

 

丁寧な手当て

今年の診療も、

来週末までとなりました。

時間の過ぎる速さに

付いてゆけていないと云うのが

今の私の現状です。

1日の短さに、

戸惑うのです。

今年は目まぐるしい変化の年でした。

思い返せば、

何事にも訳が在るのだと。

いよいよ来年から、

スタートダッシュする気持ち満々です。

縁を得て、

歯科医学の道に入りました。

私は、この縁を大切にしたいと思います。

歯科医学には多くの細かい専門分野に別れています。

それぞれに大きな興味をそそられます。

来年からは、

今まで通りの虫歯制御の研究に加えて、

部分入れ歯、

噛み合わせと云う

2つのテーマに挑み始める積もりです。

10年続ける積もりです。

その前に、

あと僅かな今年の診療を

後悔ないように、

丁寧に、

丁寧に。

 

時の流れ

一段と、

寒くなりました。

吐く息も、

瞬時に凍りそうなほど。

それでも、

患者さんは決まった時刻に、

コートにマフラー姿で、

遠くから、

お越しくださいます。

私の診療所は、

その時刻、時刻においては、

ただお一人の患者さんのためにだけ

ご準備させて頂いていると云うスタイルです。

急な予約の変更は、

その時間帯がスッポリと空いてしまいます。

それを、

患者さん皆さんが、

よくご理解下さっておられるからでしょう。

ありがたいと、

感謝しつつ、

より一層、

丁寧な手当てに努めようと

毎日を心新たにと。

歯科医師過剰にて、

コンビニより多い歯科医院と言われる時代です。

そのようななか、

新しい患者さんが絶えません。

ただ、

治療の内容が大きく変わったと云う気が致します。

一昔前の歯周病への治療から、

今は、

既に大がかりな歯科の修復治療をお受けになられた後の、

再治療が全ての患者さんの来院の動機です。

昨夜、

偶然に古い専門書を読み直しました。

今時の歯科医師の先生方は、

名前を聞いてもピンとこないかもしれません。

ドクター・マッカラム、

ドクター・スタラード、

ドクター・スチュワート、

ドクター・トーマス。

アメリカン・ナソロジー?

そうピン!ときたら、

勉強熱心な先生でしょう。

私の歯科学生時代は、

アメリカンナソロジーのホットな時代でした。

その後、時代は、

ペンシルベニア大学のアムステルダム教授の提唱する

歯周補綴の時代へと。

インプラントや審美歯科の前の時代です。

アメリカンナソロジーと歯周補綴の洗礼を受けたことが

私の歯科治療の基礎となっています。

頁を捲りながら、

昔には理解できなかった記述が、

一番に納得できる事の変化に驚いて、

時間がすぎるのを忘れてしまいました。

 

 

息子へ

人の長い人生においては、

何度となく岐路に立つ時が在ります。

もしかしたら、

自分が岐路に立っていることに

気づいていない時もあるかもしれません。

それでも、

今が岐路にあると、

明確に自覚したならば、

その時には、

安易に前へと進んではなりません。

仮に、

他人の声を信じられない心情にあった状況下でも、

決して、

これまでの自己経験からの視野下で、

方向を決定してはなりません。

岐路にある時こそ、

動く時ではないのです。

武田信玄公の旗印である【風林火山】のように、

時を待つのです。

決してジタバタしてはなりません。

診療においても、

同じような状況を何度も経験します。

すべきことを、

的確に行ったからと言って、

術者の思惑通りに

治療が順調に遂行されるほど、

人の身体は甘くはありません。

そのような時に、

私は自分で言い聞かせます。

私はプロなのだと。

で、

もっと、

詳細にまで、

観察を進めます。

もっと、

患者さんからの声を引き出します。

で、

寝ても覚めても、

考え続けます。

併せて、

過去の文献や、

過去の著明な臨床医の診療記録を

読み漁ります。

その際に、

直近の答えを探すような気持ちで、

文献には臨みません。

大きく範囲を拡大して、

今陥っている狭い視野から、

自分を解放させるためです。

その期間は不安に苛まれることでしょう。

しかし、

必ず、

脳裏に点灯が灯る瞬間を経験するでしょう。

その時に、

私は一気呵成に、

駆け走ります。

55の私の判断基準です。

診療所へ出勤し、

神棚に水をお供えし、

柏手を叩き、

デスク脇の観音様にお供えして、

香を焚き、

教を唱えるのが、

私の四半世紀の習慣です。

カトリックに改宗した私は、

この習慣を変える積もりはありません。

55になるまで、

私を導き、

護って下さった神様仏様ですから。

私は死ぬまで、

大切にお祀りさせる頂く積もりです。

私は生涯の仕事を自分の強い意思にて決定しました。

だからこそ、

私は粘れるのだと思います。

カトリックの道も、

私自身の強い意思で入りました。

ただ私は長男ですから、

長男としての、

先祖の供養の責任が在ります。

それはそれで、

私は責任を全うする積もりです。

しかし、

心の支えを選ぶのは、

私自身の気持ちに正直に生きたいからです。

私の習慣に、

また一つ増えました。

神様へのお祈りと、

デスクワークしながらの

讃美歌を聴くことです。

このような毎日を

何故過ごすのか?

と、問われたら、

私はハッキリと申しましょう。

17の歳に、

自分の意思で決めた、

良い歯科医師になれるようにと。

それを決して忘れてはいませんし、

今になっても、

良い歯科医師への道を進んでいるからです。

息子よ。

昨夜のお前は悩みと云うよりも、

悩む前の前段階に居るようだ。

人の長い人生だ。

大いに悩め。

が、

悩みの前段階は、

父は認めない。

腹をくくるのは、

道を選ぶ時に行うのではない。

道を選ぶ際には、

既に、

身体全体は、

水にドップリと浸かっているのだ。

腹をくくるのは、

悩みの前段階の時。

良き師が身近に居る筈だ。

頭を下げて、

心の内を吐き出して来い。

青春とは、

そういうモンだと、

父は思う。

それでもセラミックのクラウンを選びますか?

2週間ほど前に、

装着した上の奥歯のブリッジの、

今日1番の状況です。

診療所にお越しになられて直ぐに、

お写真を撮影させて頂いた所見です。

ブリッジ前方の2本はメタルボンドクラウンにて、

最後方歯はの噛み合う面は、

あえて金属にて修復させて頂きました。

光っている点がアチコチに

見えるかと思います。

下の奥歯と、

咀嚼した際に、

睡眠中の食いしばり、

歯ぎしりした際に、

接触している部分が、

あえて光るように金属のクラウンに仕掛けしています。

何処が接触しているのか!

一目瞭然でしょう?

診療の際にも、

当然、

噛み合わせのチェックは行い、

随時、調整しています。

でも、

カーボン紙の厚みがいくら薄くても、

噛み合わせのチェックなどは、

1日の全ての上下の歯の接触が確認できる筈もなく。

特に、

上顎の最後方臼歯には、

大きな梃子の力が掛かります。

とても、

微妙な調整が必要な歯です。

セラミックだと、

こういう仕込みは出来ません。

ですから、

私は上の奥歯の修復には金属が好きなのです。

 

歯科治療って面白い

夜更かしするのが

大人の証であると云う勘違いしてた

若い時分には、

空が白み始める頃に、

大通りを歩き、

家路に向かっていた記憶を

この頃、

床に就く時に、

しばしば思い出すのです。

圧倒的な体力とは、

ありがたいモノだと。

無茶なことでも、

旺盛な体力に裏打ちされた精神力で、

制圧できたモノです。

今ともなると、

そんな体力はありませんから、

経験から身に付いた知恵を操ることと、

勘、

そして度胸で以て、

前へと、

前へと、

進んでゆく質は、

今でも変わりありません。

不思議と、

好奇心だけは昔のままのようです。

治療においても、

通常の経過と違う場合には、

これまた、

興味の芽がムクムクと。

だから、

歯科治療って面白いんです。

総入れ歯の患者さん

もう17年は前に

お造りさせて頂いた【総入れ歯】です。

年末だと云うことでしょう。

定期検査にお越しになりました90歳近くの女性です。

いかがでしょうか?

噛み合う部分のカーボン紙の痕跡は?

15ミクロンの厚さの記録紙です。

私の【総入れ歯】に付与する

咬合様式はキャナイン・ガイダンスです。

オクルーザル・コンタクトも、

カスプ・トゥ・フォッサです。

一般的な歯科医師からしてみれば

???

と、

お感じになられることでしょうね。

でも、

入れ歯の下の粘膜や骨は、

全く痩せていませんよ!

今日は上の前歯の裏側に記録されたる

余計な接触点が見えますね。

そこを削除、調整させて頂き、

総入れ歯を宮田君に託しました。

30分程度にて、

お口サッパリ!

綺麗に清掃、消毒してくれるでしょう。

どうかお風邪など、

お召しになりませんように!

お足元にご注文されて、

決して転びませんように!

お車にはくれぐれも!

そんな会話にて、

また来年ね、先生!

大きく手を振って、

診療所を後にされました。

讃美歌の中の手術

先週の土曜日の手術は

いつもとは違いました。

スタッフの宮田君が勤務してから

既に7年が来ようとしています。

宮田君のキャデイにて、

多くの難しい手術を恙無く手当てできました。

常日頃のトレーニングの賜物と思います。

また、

日々の日常勤務を丁寧に重ねてきたからでしょう。

先週の手術のレントゲン写真を診て、

医師の勘が、

私に物語ったのです。

コレは大変な症例だぞ!と。

レントゲンに孔が開くほどに、

入念に、

何度も確認したことは言うまでもありません。

このような場合に、

私はスタッフの宮田君には、

多くを語りません。

なぜなら、

私は歯科医師だからです。

執刀するのは私。

で、

土曜日の午後3時に、

患者さんはお越しになりました。

そして、

私は患者さんにお願いしたのです。

手術の間、

カトリックのミサのCDの流れる中、

執刀させて頂けませんか?

このような際に、

宗教色を前面に出すことは控えるべきでしょう。

ですが、

私は心を一点の波紋のない

無心の境地で、

手の赴くまま、

手指が動くのに

委せたかったのです。

患者さんは仰いました。

それで先生の心が落ち着いて、

手術が進むなら。

手術にはリズム感が必要です。

リズム感です。

気持ちと手先が完全に一致しなければなりません。

しかし、

手術は甘くはありません。

瞬間、

瞬間、

予想とは

全く違った判断を余儀なくされます。

その瞬間的な判断は、

天のお導きだと、

後になった、

術後の経過を診て、

天を仰いで感謝するのです。

治療はスピードが大切だと云う医師のブログを

見たことがありました。

彼は混乱の最中にあるのでしょう。

治療に速さを競う必要はありません。

人それぞれに適したスピードが在りますので。

患者さんに喜んで頂ける手当てができたと思います。

讃美歌と司祭のミサ進行のお言葉の中、

私は一つ大きな山を登れたと思います。

手術の際に、

患者さんの耳は讃美歌に癒されたそうな。

それより、

私の心が落ち着き、

安定していることが

しっかりと伝わったそうな。