カテゴリー別アーカイブ: ただの日記

大人の男である・自覚

今日のブログにて、

銀行マンについて、

みんなが・みんなでは・ないんでしょうが、

どうしたもんだか?

と云う・内容で・綴ったんですが。

お昼時、

診療所に電話が・かかって・きました。

愛媛銀行・高松支店の支店長です。

で、

言い分が・笑っちゃい・ました。

あちらさんが、

この・あちらさん・と云うのは、

私の顧問会計事務所です。

あちらさんが・そのように・受け取ったのなら・気をつけます。ですと。

私ですか?

私の顧問会計士、

及び、

事務所はワンフロアーですので、

事務員さん・みんなには・筒抜け・なんです。

その全員が、

愛媛銀行の行員に、

威嚇的大声での・罵声を浴びせられたと。

それを、

この支店長、

そのように・受け取ったのならば・と・のたもうた。

これは、

もう救いようが・ありませんね。

この銀行の・普通なんでしょう。

しかし、

こう云う・大人の男って、

社会から・退場すべきだと・私は思います。

特に銀行は、

地域の産業の育成に貢献すべき性格と・職責があるんじゃ・ないですか?

企業に融資して、

貸してやってるんだぞ!

なんて、

大いなる・錯覚すること自体、

教養の低いことを・自己表明している・ようなモノです。

住宅ローンの一括返済を申し込んだら、

愛媛銀行というところは・顧客を怒鳴る・と云う事実は

紛れもない・真実なんです。

モラル

つい先日、

足の不自由な母の通帳を整理しようと、

つい最近、

本社ビルを新築した銀行へと・母を連れて・出向いた際に、

呆気に・とられたのです。

今時・珍しいほどの・非常識な対応だった・からです。

若い女性行員でしたが、

こんな女性が・いるんだ?と、

一体、

どのようにして育ったのか?

昔の私なら、

その場で・怒鳴りつけて・いたでしょうね。

が、

黙って・呆れて・顔を眺めてだけ・いました。

もう私も・歳が歳だけに、

紳士的な・所作であること・を最も・気をつけていますから。

老いた母が・ポツリと・言いました。

あなたは・辛抱強くなったねぇ。

で、

最近、

診療所に、高知市に本社のある銀行の・高松市内の支店長なる

40代の男性が・融資の申し出にて・お越しになりました。

雑談の中で、

銀行は儲からない!

担保をとるよりも、

保証協会へ・投げた方が・銀行側はリスクが無いのだと、

平然と語る・彼。

また、

融資より・手数料が・美味しい・などと。

黙って・聴いて、

別段・融資を受けなければ・ならない事情は・ありませんでしたので、

丁重に・お帰り頂いたのです。

また私ごとで恐縮ですが。

住宅ローンの残金が・わずかになったので、

一括返済しようと、

顧問会計士の事務所へ依頼していたのです。

新型コロナウィルスへの対応にて、

雑務は・それぞれの専門家に委託し、

私は・感染防止対策に専念するためと、

患者さん以外の・さまざまな職種の方の・来院を防ぐためです。

そのような過程のなか、

愛媛県に本社のある銀行なんですが、

突然、

アポイントも無しで、

顧問会計士の事務所を訪問し、

一括返済するための・金の出所はどこだ・とか、

さまざまなことを、

大声で・怒鳴り、

威嚇し、

事務所の職員たちは・ビックリしたのだと、

今朝、

会計事務所の担当職員から・報告を受けたのです。

顧問の先生は、

相手を・叱咤したそうですが、

私は、

早々に、

高松市店長へと・電話を入れたのです。

で、

結論から申し上げますと、

表面だけを・綺麗に繕うことだけに終始し、

中身の無い人生を・歩んできた人たちには、

モラルというものより、

目先の利益の方が・優先事項であると云うことが、

身に・染み付いてイルのだと。

都内の名門小学校や中学校の受験の際には、

親子面接が・当たり前に・なりました。

で、

その問答集を閲覧しますと、

1番・多い・質問は、

お子さんには・どのような大人になって欲しいですか?でした。

私ですか?

成人し、

勤勉に労働し、

国に・キチンと・納税できる人間です・と答えますね。

私自身も、

勤勉に仕事に従事し、

苦しいですけれども、

経営を・やりくり・しながら、

納税の義務を・果たしています。

税金が無ければ・国の運営が・できませんから。

私は個人事業主ですから、

あらゆる場面で・税金が発生します。

国税・市税・固定資産税・消費税・個人事業税・予定納税などです。

ガックリする時も・正直・ありますよ。

税金が無ければ・本当に・楽ですもの。

しかし、

納税は・国民の義務ですから。

身体を壊して・働けなくなったら・税金も払えません。

働ける・ってことは・幸せ・なんだと。

また、

仕事には・必ずリスクを・ともないます。

ヒヤッと・する曲面など・たびたび・ですから。

それでも、

リスクを選ぶのは、

患者さんの・ため・です。

私が・やらなくて・誰がやる!

そう云う・気持ちで・治療を受けるんです。

ですから、

リスクが要りませんから・などと、

平気で曰う・大人の男を・心から軽蔑するのです。

銀行に将来はない・と経済誌などで・散々・酷評されていますが、

それは・自分の巻いた種だと・思うんです。

病気は・次いででは・治りませんよ

初診の・お電話が・ありました。

確かに、

本当に・お困りの・ご様子に・お気の毒に・思いました。

で、

診察の・ご希望のに日程を・伺ったところ、

仕事が・終わってからの・夕方なら・と。

で、

そもそも・初診とは、

絶対に・診・落としが・あっては・ならない・超・大切な手順です。

仕事で疲れた・私は・この時間には・無理です。

患者さんに・申し訳ありません・ので・と、辞退。

お仕事が・土曜日は、お休みとのこと・ですね?

じゃあ・来週の土曜日の・私のお昼の休憩時間を・潰しますから

お越しになりますか?

すると、

1時からならば・と。

で、

それならば・30分しか・診察できませんから、

よく診られません。

その翌週では?

すると、

そこまで先は・待てません。

それなら、

来週の土曜日の12時に・お越しくださいね。

1時間半・お時間を・ご用意して・おきますね。

そんな・やりとり・が・ありました。

新型コロナウィルス蔓延下での、

三枝デンタルオフィスの感染防止体制は・徹底しています。

詰めて・アポイントメントを・入れていません。

そう云う・事情も・一般の大人は・ご認識して・いただきたいのです。

診療所は・病気を・治す所・なのです。

また、

病気は・患者さんの・都合では・治せないのです。

何か・変ですよね

コロナ・コロナで・翻弄されながら、

冬が終わり、

春が来て、

梅雨に入ったかと・思ったら、

蝉の声が・耳に入り出しました。

突然の雷雨や・豪雨による・災害。

地震も・あちこちで。

しかし、

今日という・唯一の時間を・大切に・過ごしませんと・ね。

今朝、

ふと、

ある事を・突然・思い出したのです。

小学低学年生時代の・夏休み。

暇で・暇で・堪りません。

商家でしたから、

夏は・お中元商戦の・かき入れどき・だったのです。

家中が・従業員総出で、

早朝から深夜まで、

働き通し・でした。

古き日本の・当たり前の光景です。

祖父が社長でした。

彼は・呑気に・過ごしていましたね。

手揉みしながら・すり寄ってくる銀行員たちの

おべんちゃらに・大いに満足そうでした。

広い社長室でした。

ドーンと大きなデスクを構えていました。

部屋のど真ん中には、

どデカい・屋久杉のテーブル。

と、客人用のソファー。

で、

何を・思い出したのかと・云うと、

テーブルの上に、

バカラの大きな蓋付きの・シガレットケースが、

当たり前のように・置いてあり、

訪れた客人も、

当たり前のように、

それから・紙巻きタバコを取り出して、

普通に・吸っていました・こと。

時代って・随分と・変わるものなのですね。

今、

私の院長室は・仕事のためだけの・戦闘司令室。

仕事のための個室でしか・ありません。

同じ・長でも、

祖父は・恵まれていたんだなと・羨ましく・思います。

祖父の葬儀の際には、

頂いた花輪が、

地元の駅から自宅までの1キロ近くでしょうか。

沿道の両側に・びっしりと・立ち並んでいる光景は・圧巻でした。

その息子たる・父は、

東北の病院で亡くなり、

息子たる私の姿もなく、

姉夫婦の関係者だけの葬儀のあと、

遺骨は・姉の自宅の廊下に・放置され・三回忌を迎えようと・しています。

高松市郊外にある・墓地には・遺骨のない父の墓石を建立しましたが、

未だ、

遺骨は・返しては・くれません。

お仏壇に・父の位牌と写真を。

毎日、

祖父たち・他のご先祖様と共に・供養は・していますが、

内心では、

私は、

怒りの炎が・消えません。

しかし、

これは・父の巻いた種だから・致し方ありませんが、

カトリック信仰の原点である・許し・の心でさへも、

姉夫婦に対しては、

十字軍を以て、

戦闘態勢を・整えたい・心境なのです。

身近な人間でさへも・この・ありさま。

どこかで、

道を・間違えたんでしょう。

昔は・良かった!

と、つくづく思うのです。

悪い・人かも

アメリカの人気テレビ番組の・NCISの主人公、

ギブス捜査官からの・影響では・ありませんが、

私は、日常的に・コーヒーを・がぶ飲み・しています。

カフェイン中毒なのかも・しれません。

それに、

あいかわらずの・シガー愛好者。

身体に・悪いモノって・美味なるモンですね。

車も、ヤンチャ路線ですか?

マセラティと・フォードのピックアップトラックです。

スーツに・サングラスが・定番で、

ハットも・時たまに。

生まれ育ちの・良さからくる・品格からでしょう。

その筋の人には・絶対に・観られていないと・自己認識ですが、

そう・思っています。

私にとっての・歯科医学

裕福な商家に・生まれ・育ちました。

しかし、経済的な恩恵とは・裏腹に、

複雑な・人間関係の波に・翻弄された環境でも・ありました。

そのような中で、

信仰心の熱い・年長者の姿を・多く接する機会が・ありましたのは、

思えば、

現在の私の・準備期間を・神様が・与えてくださったものと・思えるのです。

少年期から高校時代にかけて、

頻繁に・とある小さな庵を尋ねることが、

私の心を・落ち着かせてくれる・手段だったのです。

老いた女性の御坊が、

不動明王様に・護摩を焚きながら・般若心経を唱えるのを

後に座って、

両の掌を合わせて、

眺め、

炎を仰ぎ、

目には見えない・力の存在を・認識し始めた・私の信仰への入り口に

当たった時期だったのでしょう。

ある時の・ことです。

行を終えて、

御坊は・振り返って、

私に・言いました。

坊、歯医者に・なりな・はれ。

歯科には全く無縁であった私は、

この瞬間に、

人生が・決まったのです。

馬鹿げた・話に・思えるかも・しれません。

が、

根拠もない、

裏付けもない、

しかし、

運命という・目には見えないモノが、

人の生涯に・大きな影響を及ぼすことを

人は・否定できません。

その瞬間を・信じて、

とにかく・私は歯科医学の門を・叩いたのです。

歯科医学は・レッキとした・自然科学の1分野です。

しかし、

科学を・目に見えない力に・導かれながら、

また、

エビデンスを確実にしつつ、

目に見えない力の存在を・再認識するように・なりました。

さほどに、

生命体とは・摩訶不思議なモノ。

歯科医学の道を・奥へ・奥へと・足を進めるたびに・

目に見えない力の存在を・再認識・確信するように・なりました。

日本人として・生まれた私は、

当たり前のように、

毎年の・伊勢神宮への参拝、

関西人として、

宝塚の清荒神への参拝と・石切神社への参拝を恒例行事とし、

叡山や、お遍路へ。

そのような私が、

カトリックの洗礼へと・至ったのも、

目に見えない力の・お導きと・

自然に、

身体を・任せたのです。

私にとっての・歯科医学とは、

信仰の・目に見える形と・言って良いでしょう。

私の・根管治療

今時は、

根管治療が・若手の歯科医師の・関心ごとに・なっている・そうな。

歯を・大切に・保存する・という状況に・

嬉しく思います。

ただ、

さまざまな方法が・紹介されていますが、

私的には・今一つ・感心できません。

なぜなら、

絶対的な・根拠に・欠けていると・思うからです。

私の・根管治療は、

日本歯科大学・新潟・歯科保存学教室第1講座・初代教授であった

川崎孝一先生の・根管治療を模範とし、

それに・私なりの経験からの工夫を・加えたモノです。

下顎第2小臼歯と・第1大臼歯の・根管治療後の・レントゲン初見です。

最後方の歯の根管治療は・私の仕事では・ありません。

このような・下手な細工は・私には・到底・できません。

私の仕事は・レントゲン所見的には・非常にシンプル。

ですが、

理論的には、

川崎理論に・誠実に則り、

技術的には、

三枝メソッドが・あらゆる所に・織り込まれて・います。

私は・このレントゲン所見を・基準としています。

清々しい・根管治療

根管治療後の・レントゲン写真を観て、

清々しい・気持ちになる。

こう云う時が・最高に・気分が・良いんです。

レントゲンの現像は・未だに暗室の中での・手現像。

デジタル化・してません。

フィルムでしか・判断できない・微妙な彩が・あるんですよ。

フィルムを水洗してから、

干して・自然乾燥するモンですから、

お見せできるには・1日の・タイムラグが・発生します。

現像直後の・濡れたレントゲンフィルム上での・確認にて、

先ず・清々しい・気持ちになって、

翌朝、レントゲン写真をシートに封印する際の・確認で、

再び・清々しい気持ちを・味わって。

ファイバーポストの形成の際に、

レントゲン写真を・取り出すのですが、

そこでも・清々しい・気持ちに。

根管治療って・そうでなきゃ・ダメだと・思うんです。

治療の最中には、

自分を・自分の中に・封印し、

内に・籠った・地味なる治療なんです・けれども、

終わったあと、

晴々しい・気持ちに・なりますから、

私は・根管治療って・好きですね。

へそまがり

手が・空いた人が・電話に出る。

私の診療所には、専任の受付嬢は・おりません。

ですから、

治療後の・お会計や・ご予約の手続きを・スタッフが対応中の際の

電話は

私が・でます。

この間・こんな事が・ありました。

モシモシ・あのぉ・ちょっと・お聞きしたいんですけどぉ?

20年くらい前にぃ・上の奥歯を・抜いたんですぅ。

ずっと・ほっておいたら、

下の歯が・長くぅ・なってぇ、

ホホの粘膜や・上の歯茎にぃ・当たって・痛いんデスゥ!

インプラントも・考えているんですけどぉ、

とりあえずはぁ・応急的に・簡単に・なんとかぁ・してくださいぃ!

私ですか?

申し訳・ありませんが・私では・お役に経ちません。

って・お断り・したのです。

私の診療所の・ポリシーには・適応してませんから。

じっくりと・腰を据えて・治したい!と・決意した方の・歯科医院です。

ついでで・病気は・治りませんよ。

逆の・立場で・考えてくださいね。

私ら・医療職が・治療を・ついでで・したら・どう思いますか?

私らは・命がけで・専念して・今日にあります。

治療を・なめたら・イケマセンね!

きをつけて・外食

仕事・帰りに、

ちょっと・寄り道。

ダイニング・バーって・云うところ・今時の言葉では。

ドアを開けて・店内を・のぞくと・ほぼ満席。

あちゃぁ〜・こりゃ・危ねぇわ!

引き返そうと・思ったら、

先生、お久しぶりです・どうぞ・個室の方へ。

店長に・促せるままに、

壁一面に設えた書棚が・隠しドアになっている施工で、

中に入って・ソファに・腰を落としたんですが。

ただ、ここの個室、ゆうに10名は・入れるくらい・広いんです。

そこに・独り・でしょっ。

なんか・間抜けな・感じ。

仕方がないので、

壁に設えた・大型のテレビモニターで、

普段は・観ないバラエティ番組を視界に、

え〜い・今日は・タップリ食うぞ!

てな・感じで、

次々と・メニューを・指差して、

テレビ番組から、

そうなんだ!

最近は・こういう時世なんだ!

一人・感心しつつ、舌鼓。

しかし、

新型コロナウィルス・いけませんね。

窮屈・この上・ない・ですね!