裕福な商家に・生まれ・育ちました。
しかし、経済的な恩恵とは・裏腹に、
複雑な・人間関係の波に・翻弄された環境でも・ありました。
そのような中で、
信仰心の熱い・年長者の姿を・多く接する機会が・ありましたのは、
思えば、
現在の私の・準備期間を・神様が・与えてくださったものと・思えるのです。
少年期から高校時代にかけて、
頻繁に・とある小さな庵を尋ねることが、
私の心を・落ち着かせてくれる・手段だったのです。
老いた女性の御坊が、
不動明王様に・護摩を焚きながら・般若心経を唱えるのを
後に座って、
両の掌を合わせて、
眺め、
炎を仰ぎ、
目には見えない・力の存在を・認識し始めた・私の信仰への入り口に
当たった時期だったのでしょう。
ある時の・ことです。
行を終えて、
御坊は・振り返って、
私に・言いました。
坊、歯医者に・なりな・はれ。
歯科には全く無縁であった私は、
この瞬間に、
人生が・決まったのです。
馬鹿げた・話に・思えるかも・しれません。
が、
根拠もない、
裏付けもない、
しかし、
運命という・目には見えないモノが、
人の生涯に・大きな影響を及ぼすことを
人は・否定できません。
その瞬間を・信じて、
とにかく・私は歯科医学の門を・叩いたのです。
歯科医学は・レッキとした・自然科学の1分野です。
しかし、
科学を・目に見えない力に・導かれながら、
また、
エビデンスを確実にしつつ、
目に見えない力の存在を・再認識するように・なりました。
さほどに、
生命体とは・摩訶不思議なモノ。
歯科医学の道を・奥へ・奥へと・足を進めるたびに・
目に見えない力の存在を・再認識・確信するように・なりました。
日本人として・生まれた私は、
当たり前のように、
毎年の・伊勢神宮への参拝、
関西人として、
宝塚の清荒神への参拝と・石切神社への参拝を恒例行事とし、
叡山や、お遍路へ。
そのような私が、
カトリックの洗礼へと・至ったのも、
目に見えない力の・お導きと・
自然に、
身体を・任せたのです。
私にとっての・歯科医学とは、
信仰の・目に見える形と・言って良いでしょう。