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奥歯のセラミッククラウンの噛み合わせ

アメリカの歯科医師が

みんな上手という訳ではありません。

このセラミッククラウンは、

シカゴにて治療なさったとのこと。

丁寧に歯磨きして頂くことのトレーニングから始め、

歯石を取り除き、

再び、

歯磨きのトレーニング。

そのような繰り返しから、

その患者さん毎の【歯茎の個性】が判ってきます。

歯の根の表面を丁寧に研磨するのは、

熟練した歯科衛生士の仕事です。

そのあと、

私、歯科医師にて、

治療方針が決定されるのです。

不良な形態のクラウンは歯肉にとっては

迷惑至極の代物でしかありません。

歯周外科のあと、

仮のクラウンに交換して、

歯肉の熟成を待ちます。

で、

セラミッククラウンの製作へと。

とは言え、

歯型を採って、

次回に完成セットと云う単純作業ではありません。

歯肉を傷めないクラウンを造る手順を

ステップ.バイ.ステップにて。

メタルボンドクラウンのメタルフレームの試適を行い、

再び、

歯の型を採ります。

ここから、

セラミックを盛りあげるための模型を造ります。

セラミックは陶材です。

窯の中で、

高温で焼成して、

人工歯の色と形を造ります。

ほぼ完成ですが、

これからが、

歯科医師の腕の見せ所!

相対する歯との、

噛み合わせが最後の詰所。

私は厚みが20ミクロンの印記紙にて、

上下の歯の接触を測っています。

が、

これでも、

まだまだ誤差は大きいと感じています。

今日の記録の状況と、

私の調整は、ここまで!

少しずつ、

歯は微妙に動きます。

少しずつ、

少しずつ、

完璧に仕上がるように。

この噛み合わせの調整って、

頭の体操なんですよ。

歯の状況と接触点から、

力学を考慮して調整しなければなりません。

そして何よりも肝心なのは、

歯科技工士の腕です。

上手な歯科技工士さんの造る人工歯ほど、

心安心した治療ができます。

歯型を採って、

直ぐに完成、

直ぐにセットという治療は、

歯科治療ではありません。

 

 

 

 

聖ヨゼフと共に

今日も、

手術を2症例ほど。

他にも、

本当に歯で困っておられる患者さんの多いこと!

診療室の前ホールに飾る絵画は、

師匠である内藤正裕先生のお祖母ちゃんの描かれた

【大工ヨゼフ】です。

先生から頂いた私のカトリックネームである【ヨゼフ】の由来です。

診療室に入る都度に、

私は聖ヨゼフに一礼し、

診察を開始するようになりました。

穏やかに、

安心し、

患者さんに診察を受けて頂きたいのです。

科学を信じる私ですが、

科学を遥かに越えた【力】の存在も

信じて疑っていません。

私を頼って下さる患者さんです。

神様にお仕えする心で、

歯科医師の務めを果たしたいと思います。

目標は遥か彼方

もう40年近くも、

前のことになったのですね。

2月1日は、

昔から日本歯科大学の受験日です。

東京九段の富士見坂を校舎目指して

登っていた自分の姿が見えるようです。

あの日が、

私のスタートラインだったのだと、

時々に感慨深く、

思い出すのです。

昨日、

母校の医員から小包みが届きました。

論文の束と、

総入れ歯の模型です。

入れ歯を掌で包み、

全角度から視る私の眼が

相当、キツい眼差しだったんでしょう。

スタッフが怪訝な表情で、

どうかなさったのですか?

実に良い入れ歯でした。

考える診療という言葉が

的を得たような総入れ歯。

30代の歯科医師の作品です。

上手な歯科医師が、

母校にて、

確実に育っていることが認識できました。

胸が熱くなりました。

たかが入れ歯と思っていたら、

絶対に上手な歯科医師にはなれません。

入れ歯造りが楽しいなどと、

そんな気持ちで、

上手な歯科医師にはなれません。。

死にもの狂いな程に、

自分を歯に没頭させて、

もがいて、

苦しんで、

ノタウチ回って、

最後に、

なんとか形になってくる、

それが芸事の基礎の基礎です。

掌の上の総入れ歯から、

一坂越えた歯科医師像が

鮮明に伺えます。

清々しい気持ちになりました。

このような立派な青年歯科医師が

一人でも居る以上、

私は新潟へと足を運びます。

私もまだまだ、

上手に成りたい。

お互いに切磋琢磨し、

良い歯科医師を目指そうと。

 

 

 

最高品質の歯科技工物

歯科治療において、

歯科技工士さんの協力は

無くては成り立ちません。

私の診療所では、

2件の歯科技工所さんにお願いしています。

1件は県内。

もう1件は県外の。

県内の歯科技工士さんには

主に義歯関係と日常のセラミッククラウンを。

県外の歯科技工士さんには、

大がかりな修復を依頼しています。

歯科技工士さんは、

通常は技工所にて模型の上での作業が主です。

でも、

私と仕事を一緒にして下さる歯科技工士さんは、

コミュニケーションをより良く得られるように、

度々、

私の診療所へお越しになられます。

で、

院内の技工室にて、

ご覧の通り。

現在、

私の診療所には常勤の歯科技工士さんは雇用していません。

歯科技工士さんの教育を長い間関わり、

悟ったのです。

私の診療所から巣だった歯科技工士さんは

総勢6名です。

私が三枝歯科で学んだ事を履歴書に書くことを

認められる歯科技工士さんは、

女性歯科技工士1名のみです。

歯科技工士さんの教育に懸ける時間は

私には無駄だと結論つけたのです。

カリスマ技工士さんに依頼する方が、

断然、

ストレスが懸かりません。

できる人は出来るんです。

私の診療所の卒業生の仕事を

患者さんのお口を通じて、

視る機会もしばしば在ります。

何を学んでいったのやら。

視る眼と、

視る前段階での知識不足、

視る心構えがなかったのでしょう。

不肖の専門職を養成したことが

私の少ない後悔の一つでもあります。

現在、

私の診療所の歯科技工は最高品質にあると確信しています。

 

 

折り合い

旅に出たいと、

不意に、

思う時がありませんか?

一人旅という言葉は、

耳に心地よい響きが在ります。

が、

私には一人旅が、

独り旅という具合となり、

そんな淋しい旅など

したくはありません。

犬でも良いので、

連れが居ない旅を

淋しがり屋の私は、

したくても出来ないのです。

これは質ということになるのだと思います。

仕事に於いても然別。

食べてゆくための収入を得るために働く。

このような考えは、

私には到底に理解できません。

何処に生きる生き甲斐を持つのでしょうか?

ただ、

女性に関しては、

出産、育児などの様々な、

我が子への最も影響力のある母親の大仕事が在ります。

子供の良い点を伸ばす目線と感性で、

常に子供たちに接する訳です。

子供の情緒形成に母性が必須だからです。

人の生涯として、

これほど立派な仕事はないと

私は思っている訳です。

しかし、

社会進出する女性も増えました。

そのような土俵に於いては、

男女の区別はありません。

働くということは、

人生の時間の大半を消費する訳ですから、

働く姿勢というものに対する考え方は、

とても大切だと思います。

仕事においては、

多くの方々との関わりあいを持ちます。

相性の合わない方も、

当然居られるでしょう。

それも、

後から振り向けば、

大きな糧となりました。

望むこと、

憧れること、

それと、

本来の自分の性格。

そのマッチングが上手くゆく場合、

無理すればできる範囲、

到底に無理だと諦める範疇。

この辺りの折り合いを着けることが

大切なのでしょうね。

 

散財

昨日、

神戸市へ出向いた際に、

家具屋を見つけ、

ついつい、

店内へと。

診療室のデスクの上の模様替え。

洒落たランプでしょう?

と、

カエルのペン立て。

幸せが還るのだそうな。

それは患者さんには、

かけが得ない大切なことだと。

平蔵の近況

私の身体の何処かに、

常に接しているマリリンですから、

外出しても、

全く心配ありません。

ただ、

歩き難いですが。

この方は、

そうはゆきません。

もっぱらマイペースな質なようです。

車では、

指定席は助手席と、

ご自分で勝手に決めている様子。

ドデカイので、

動きが鈍いのかと思えば、

それは大間違いです。

猛ダッシュ!

凄いですよ。

地響きたてて疾走しますもの。

私では到底、追い付けません。

危ないじゃないか?

大丈夫なんです。

マリリンとラッシーがもっと速く駆け走り、

両から鼻先で、

制止してくれますから。

ご本人は、

不貞腐れて、

地面に寝そべって、

ヒィヒィ息きらせながら、

走り寄る私を、

上目遣いで見ています。

 

能天気

神戸市から夜も更けて、

帰宅した直後、

ハッと、

思いだしたかのように、

机に向かい、

気がつけば、

朝。

今日お越しになられる患者さんの手当てを前に、

頭に点灯したかのように、

ある閃きがあり、

古い専門書を完読したのです。

毎日、毎日を、

職業としてだけの治療に勤しんでいても、

それは無意味な人生の浪費だと思うのです。

ある医師との会話にて驚いた記憶が在ります。

なんでも、

その医師は、

医師免許を使うことで

収入を

より多く得られるように工夫する日々であるそうな。

医師とは、

単なる道具に過ぎないのだとか。

仰け反り返って驚いたのです。

私なんぞは、

歯科医師免許を有効に使うなどとは

凡そ考えたこともなく、

むしろ、

歯科の不思議さに魅了以上、

振り回されている現状。

収入は、

序でに就いてくる程度にしか

深くは考えたこともなく、

経営者目線からしてみれば、

不可解、

あるいは、

疑心暗鬼になりかねない、

理解不能で生意気な奴なのでしょう。

しかし、

当の本人たる私は、

かくの如く、

能天気。

歯が面白い、面白いと、

無邪気に玩具を手にした幼児の如く。

もう今日の患者さんの御出が

待ち遠しいとだけ。

私の診療スタイルを観て、

真似ができるものならば、

やってみぃ!

そんな気概で走って来ました。

歯とは、

男の人生の全てを懸けるに値する

本当に魅力ある器官です。

旧約聖書は、

【初めに言葉が在った】で始まります。

その言葉を発する口腔を専門とする歯科医師は、

常に神と共にあったのかもしれません。

だからこそ、

私は歯の仕事に就けて幸運であったと。

 

 

 

 

私とカトリック

3月31復活祭の夜、

高松市桜町カトリック教会にて、

洗礼式に臨みます。

約1年近く、

岡山県笠岡市の教会と、

高松市桜町教会のお世話になり、

洗礼の準備を進めて来ました。

同じカトリック教会でありながら、

笠岡市教会と桜町教会では

細かな処で、

違いが在ります。

笠岡市の神父さんは長崎の御出身。

聖母マリアさまを大切にされ、

厳格なミサを主祭されておられます。

多くのミサに参加させて頂きましたが、

笠岡市の山口神父さまのミサが、

私は一番好きでした。

ただ、

高速道路を使っての片道2時間、

しかもミサは午前9時半から始まります。

毎朝6時には出発せねばなりません。

しかも週末は半分以上、

県外出張の私の暮らし向き。

連日、

手術や研究に追われる私には、

体力的にはキツかった。

私にできることと言えば、

毎朝、

ミサのCDに逢わせての日々のお祈りを続けること。

カトリックからユダヤ教関連の書籍にて、

自分だけでできる【読む勉強】に勤しむことでした。

桜町教会は、

自宅と診療所の通勤路の途中に在ります。

神父さまのご厚意にて、

水曜日の夜、

個人的に勉強を教えて頂いています。

何故、カトリックへと?

私の昔を知る人は怪訝な顔で問いかけます。

私は、

もう1度、

圧倒的なエネルギーを燃やそうと思っています。

歯科医学へのエネルギーです。

もう若くありません。

それでも、

歯科医学の未知なる領域にチャレンジします。

遠回りする時間は残されていません。

ぶれないように、

心の支えをカトリック信仰に見いだしたのです。

医療人に信仰は必要だと思います。

人を愛さねばなりませんから。