能天気


神戸市から夜も更けて、

帰宅した直後、

ハッと、

思いだしたかのように、

机に向かい、

気がつけば、

朝。

今日お越しになられる患者さんの手当てを前に、

頭に点灯したかのように、

ある閃きがあり、

古い専門書を完読したのです。

毎日、毎日を、

職業としてだけの治療に勤しんでいても、

それは無意味な人生の浪費だと思うのです。

ある医師との会話にて驚いた記憶が在ります。

なんでも、

その医師は、

医師免許を使うことで

収入を

より多く得られるように工夫する日々であるそうな。

医師とは、

単なる道具に過ぎないのだとか。

仰け反り返って驚いたのです。

私なんぞは、

歯科医師免許を有効に使うなどとは

凡そ考えたこともなく、

むしろ、

歯科の不思議さに魅了以上、

振り回されている現状。

収入は、

序でに就いてくる程度にしか

深くは考えたこともなく、

経営者目線からしてみれば、

不可解、

あるいは、

疑心暗鬼になりかねない、

理解不能で生意気な奴なのでしょう。

しかし、

当の本人たる私は、

かくの如く、

能天気。

歯が面白い、面白いと、

無邪気に玩具を手にした幼児の如く。

もう今日の患者さんの御出が

待ち遠しいとだけ。

私の診療スタイルを観て、

真似ができるものならば、

やってみぃ!

そんな気概で走って来ました。

歯とは、

男の人生の全てを懸けるに値する

本当に魅力ある器官です。

旧約聖書は、

【初めに言葉が在った】で始まります。

その言葉を発する口腔を専門とする歯科医師は、

常に神と共にあったのかもしれません。

だからこそ、

私は歯の仕事に就けて幸運であったと。