三枝デンタルオフィスの・現状での診療形態

2年も経過すると、

新型コロナウィルスへの・医療機関の対応について、

ある程度・形・が・できてきました。

今日は・祭日ですが、

私は・ひとりで・診療所へと・向かいます。

歯科治療を・行うためです。

突然の・急患の来院は、

完全に管理された1日を・乱します。

1日を・完全に感染対策に対して・計算し尽くして、

診療所を・守っているからです。

診療所内の・空気の循環装置も完備していますが、

人の入室自体が、

ウィルスの付着を・生じるからです。

その辺りの・ノウハウは・完全に・整いました。

が、

急患の・受け入れは・計算外なのです。

そういう訳で、

そのような急患の方への・診療は、

休日を返上し・行うのです。

休日ですから・スタッフは不在です。

私は・器用ですから、

診療自体・ひとりで行うことに・不自由は・ありません。

この日曜日は、

県外からの・医師2名の・歯科治療です。

元来・私は歯科治療が・趣味ですから、

むしろ・楽しんでいます。

コロナ・コロナで・不安をつのらせる・よりも、

コロナの時期だからこそ・の、

過ごし方を・楽しみましょう。

とにかく、

歯科医院に関して言えば、

1日の入室制限を・設ける。

並列診療を・行わず、

極端に言えば、

私の診療所のように、

患者さんが・いらっしゃる時間には、

他の患者さんの来院時間を避けて、

完全貸切状態にする。

診療所内の空気の循環を・徹底する。

で、

休む・など・という考え方は・横に置いて、

休日変上で・医療行為に・勤しむ。

だからこそ、

医療人なんです。

日本歯科大学の・学風

昨日の午後、

札幌市の歯科医から・お電話をいただきました。

治療の・引き継ぎが・お電話の主旨でした。

電話口からの・お声から、

穏やかな・紳士であることが・容易に想像できました。

で、

お尋ね・したのです。

先生・なぜ・私を?

すると、

何年か前・私の講演を・お聞きくださった・とのこと。

で、

先生・私を覚えていませんか?

私は・正直に・先生を覚えておりません・と、返しました。

もしかすると・先生は・日本歯科大学のご卒業ですか?

私は76回卒ですが。

すると、

私は74回卒なんですよ。

で、

大変・失礼いたしました。

申し訳ございません。

先輩に対して・ご無礼いたしました。

私は・学生時代、

とんでもない・ヤンチャ坊主でしたので、

真面目な・学生を知りません。

ですから、

この先輩は・真面目な学生さんとして、

青春期を・お過ごしになられたのです。

そこから、

話しが・大いに広がったのです。

日本歯科大学の・学風が・ここに・あるんです。

 

 

葉っぱのフレディ

偶然、

【葉っぱのフレディ】という・童話を・手にしました。

この童話を・存在こそ・知っていましたが、

大人の私が・頁を開く機会は・ありませんでした。

1998年に他界した・アメリカの哲学者が、

生涯に・たった一つ・書いた・物語です。

葉っぱとして・生まれたフレディは、

春から夏を・充実して楽しく・過ごします。

仲間の・葉っぱと共に、

太陽の熱や・月の光、

星の煌めきの・恩恵を受けて、

雨に濡れ・風に吹かれて楽しそうに・踊り・遊び、

人々のために、

緑陰となって・働くのです。

が、

やがて・秋を迎へ、

冬に入り、

枯れた葉っぱの・仲間たちは、

一枚・また・一枚と、

木から離れて・ゆくのです。

その光景の変化を、

フレディは・受け入れることが・できません。

死・というモノを・恐れるのです。

ついに、

フレディに・その時が・訪れたのです。

静かに・木から離れて・雪の上に・着地するまでの間、

生まれて初めて・葉っぱのフレディは、

【木】の・全体像を・見たのです。

それは・がっしりとした・たくましい大木で、

しっかりと・大地に根を・張っていました。

落ちた葉も・やがては・土に返り、

新しい生命を・木が育むための・養分になるのです。

で、

フレディは・悟ったのでしょう。

この木は・ずっと生き続けるだろう。

【命】は・永遠であることを、

自己の・命を失ったことで、

フレディは・身と引き換えに、

安らかな・消滅に・到ったのです。

何事にも・意味があり、

何事にも・感謝すること。

この・幼児への物語から、

情けない・ですね!

私は、

胸に・手を当てて、

今までの・生き方を・大いに・恥じたのです。

労働する・こと

働く・って、

どういう・こと・でしょう。

今の・日本は・豊かに・なり過ぎた・のかも・しれません。

私は・高度成長期にある・昭和38年に・生まれました。

戦後・やっと・立ち直った・日本です。

まだまだ・欧米に対する・コンプレックスが・あった時代です。

豊かに・なりたい。

当時の・日本人は、

それだけが・潜在意識に・あったように、

今になると、

考えるのです。

でも、

豊かさって・何でしょう。

今、

豊かさの・意味を・再認識する・必要がある・ように思います。

生計を立てる。

もちろん、

大きな・意味があります。

でも、

それだけで・良いのでしょうか?

歯学という・生命体を学べば・学ぶほど、

科学では・到底・解明できない・壁に・ぶち当たります。

決して、

理屈や・学問では・説明できない、

不思議な・現象を、

日々、経験するからです。

そこに、

神や・仏と・人間が表現する・力の存在を・感じるのです。

私は・歯科医師です。

歯科治療で・生計を営んでいます。

が、

食べて・ゆくために・診療している訳では・ありません。

一生懸命、

運命の中で・出会った・歯学を通じて、

自分創りのために・労働しています。

ですから、

歯の仕事・すなわち・私の命でも・あります。

絶対に・流されないぞ!

そういう・意地で、

歯学に・しがみついて・きました。

それは、

これからも・変わらない・でしょう。

 

またかいな・勝負処

人生の・踏ん張りどころ・っていうんですか?

なぜでしょう?

よそ様の・何倍も・直面しましたね。

ですから、

知恵も・着きます。

コッチは・悪くもないのに、

コッチから・頭を下げて、

丸く・納めるってことも、

大人の知恵って・いうんでしょうか?

何度も・ありました。

また、

自分自身が、

やっぱり、

もがかないと・ならない時。

手抜きや、

逃げちゃ・イケマセンね。

出口は・皆目・判らない。

それでも、

ひとりで、

歯を食いしばって、

日々・1日を・やり抜くんです。

そんな毎日を・重ねて・惨めな・自分と戦うんです。

経験的に、

光が・見える時が・きます。

もうすぐ59際に・なります。

またまた・大きな上り坂。

踏ん張り・ますか!

あっ・ちっ・ち・

昔の、

郷ひろみ・さんの・唄のセリフ・じゃ・ありませんが、

新しい・患者さんの・レントゲン写真を診る・度に、

下手くそ・根管治療の所見に、

あっちっち。

どうしても・理解できないん・です。

これで・大丈夫・だと、

本当に、

これらの処置を行なった担当医。

思って・るんでしょうか?

私の若い時分。

未熟さに・もがき・苦しみ、

それが、

自己修練の・エネルギーになって・たんです。

そのレベルにまで、

遥かに、

至って・いない。

そんな・所見が・多すぎるんです。

診てる・こっちは、

どの・あたりで、

バカしたのか、

手にとるように・読み取れるんです。

だから、

してる・ご本人は、

普通、

ヤバい!って、

判る・筈なんですが。

諦めるん・でしょうか?

でも、

やっぱり、

判って・ないんでしょう。

不味い食堂に、

運悪く・入ってしまって、

一口・口にして、

思わず、

店の調理師の顔を観て、

どんな・舌してんだ?

そんな機会・ありませんか?

今、

根管治療だけでなく、

白い歯・修復って・云うんですか?

そういう治療痕跡・観て、

どういう訳で、

歯科医師免許を採ってから、

どんな卒後研修・受けたら、

こんな眼が・養成されるんだか?

頭を・抱えて・しまうんです。

歯科だけじゃ・ないと・思いますよ。

医科も・恐らく・そうでしょう。

だって、

技術者の世界に・生きる人。

みんな・同じこと・言ってますもん。

日本が豊かに・なり過ぎて、

過保護に・なった・結果じゃ・ないでしょうか?

ものづくり・日本。

恐らく、

過去の話に・なるんじゃ・ないですか?

 

 

歯科医になって・数年・経過した頃、

親友の母堂で、

近代日本における・根管治療の母とも言える

根管治療の大家であった・浅見保子先生が、

どれ・どれ?

指の腹を・見せてごらん!

で、

私の親指と・人差し指の腹・を

ご自身の・指で・触って、

は〜ん?

まだまだ・だねぇ!

半人前だよ!

私の指に・触れてごらん!

で、

恐る恐る、

同じように・触れてみて、

凍りついた・ことを、

時々・思い出すのです。

岩のような・指の腹でした。

硬い!

でも、

ただ硬いのでは・なく、

微妙に・柔らかい・妙な・感触。

これが・大家の指でした。

私は・この親友の母堂を・常日頃から・羨望の眼差しで・観てました。

腹の座った・ちっちゃな・かわいい・おばちゃん。

ニコニコ笑顔。

でも、

歯の話題になると、

瞬時に・真剣顔。

これが・昔の本当の歯医者の姿だったと・思います。

歯科大生の頃から、

可愛がって・頂いて、

歯学に向き合う・心の準備が・自然と身についたのは、

浅見保子先生の・お陰です。

こういう時代の・母性というのは、

教育上、

有効なんです。

昨年の秋、

日本歯科大学・新潟の歯科補綴学第1講座の教授に就任された

40半ばの・水橋史先生。

日本歯科大学新潟校出身の初の・女性教授です。

いつも、

ニコニコ笑顔。

でも、

どっしり・されて。

学生にとっては、

頼もしくも・温もり・感じる、

精神安定剤に・なってくれるでしょう。

良い・人事だと。

話し・を戻して、

歯医者の・指。

私の・指。

あぁ・年月の経過を・感じます。

今の私の・指を、

天に召された・浅見保子先生に・触れていただいたら、

どんな・言葉をいただくでしょう?

弟子たちとの・会話の中で、

ほら、

俺の指を・触ってごらん!

なっ。

 

 

無菌的・歯科治療

外傷や・腫瘍・以外での

歯科治療の原因の大半は、

う蝕・歯周病・などと・云った

細菌からの・感染症です。

また、

口腔内は・唾液で湿潤していますから、

唾液の中の・細菌が沢山いる環境下での・医療行為を

実践しなければ・なりません。

そのために、

歯科医学は・先人たちが・知恵を搾り、工夫を凝らし、

様々な・手当ての方法を・創造してきたのです。

教育の現場でも、

無菌的歯科治療の徹底については、

既に・半世紀以上も前から、

教育を行なってきたのです。

しかしながら・現実的には、

どうも・これが・上手く機能して・いないようです。

初診の患者さんの・口腔内を初めて・拝見した際に、

無菌的歯科治療が・行なっていなかった痕跡に・触れるからです。

無菌的歯科治療の実践。

これを・普遍的な手当と認識してくれるようにと、

若い世代の・歯科医師たちに対して、

啓蒙活動を・継続してゆくつもりです。

随分と・多くの歯が・助かる筈・ですから。

 

薄っぺらい・思考

中学3年の・娘との会話で・驚いたのです。

ビートルズ・を知らないのです。

もちろん、

ジョン・レノンも、

ポール・マッカートニーも、

イエスタディも。

で、

YouTubeにて、

イエスタディを・聴かせてみたら、

こんなの・聞いたことな〜い!

時代を・つくづく・思い知ったのです。

音楽にしても、

時代的背景があり、

時代の変化に合わせて・変化してゆく訳ですが、

どんなジャンルの音楽が・好みなのかは・別として、

クラッシックの洗礼を受けて、

政治・経済・宗教・を含めた歴史背景を・重ねつつ、

今も・音楽の・成り立ちを・学んで欲しいと・思うんですが。

そういえば、

歯科医学に関しても・全く・若い世代は、

同じ状況であるのが、

よ〜く解りました。

最近の・歯科治療

この数年、

新患の患者さんの・口腔に施された・治療痕跡を通して、

歯科医師の・技量と・治療立案能力の・低下の著しさに、

唖然と・しています。

また、

インターネットや・ホームページの・ご丁寧なる・ごたく。

歯科医学が・科学であることを、

忘れたのでしょうか?

低次元・過ぎて、

歯科治療の・方法論について、

このブログを通じて・云々するのが、

面倒に・なりました。

申し訳ないんですが、

学問的基盤が・違いすぎると。

今、

自動車が・売れないのだ・そうな。

そりゃ・そうだ。

いつ、

電気自動車に・代わって・しまうだろう。

具体的な・時期が・納得できない。

ハイブリッド、

プラグインハイブリッド、

完全電池化、

色々・あり過ぎて、

よく・判らない。

で、

機械・という・よりも、

家電製品みたい。

液晶パネルが、ハンドルの向こう側と・横に・張り付いた

走る・箱もの家電。

自動車好きは、

まず・敬遠するでしょう。

売れない・売れないと・ぼやいていても、

フェラーリ、

マセラティ、

アストン・マーティン、

ベントレー、

昔ながらの・マシーンメーカーは

過去最高水準の・販売台数を・叩き出しています。

自動車とは・どうあるべきか。

おんなじ・ように、

歯科治療は・どうすべきか!

私は・そう考えています。

だから、

本当に困った時の・歯科医院なんです。