変えてはならない定め


先日、私の若い時分の阿呆降りに触れました。

そんな昨夜、

テレビのニュース画面から、

時代の違いに、

嫌でも気づかされたのです。

真っ昼間の都会の雑踏の中のカーチェイス。

他人の車を無断拝借するという泥棒を、

何台ものパトカーが数珠なりになって追いかけるなんて?

ど田舎の真夜中の出来事ならいざ知らず。

どちらもマトモだとは思えません。

そういえば、

高速道路を突っ走る車を眼で追いながら

思うんです。

車の構造なり、

タイヤと路面の関係を熟知すればするほど、

80キロ程度のスピードで走るようになるんです。

自分の心の中の安全弁って装置があって、

そうさせるんです。

痛い目にも遇って、

経験と責任が、

気づかせてくれるんですがね。

時代なんでしょうね。

余裕がない。

全てにおいて、

ギスギスしてる日本になったと感じます。

私は自分の診療所だけは、

そんな処にしたくありません。

物と情報の氾濫する大東京の中に

ひっそりと昔ながらの趣を守る

寄席の古典落語みたいで在りたいと、

私は常々に心がけています。

歯医者の仕事って、

歯の番人に尽きるんじゃないですか?

患者さんは痛みや噛めないという辛さを背負って

お越しになられるんです。

患者さんに余裕なんか求めてはなりません。

相手は苦しんでらっしゃるんですから。

だからこそ、

私ら治療する側に

心に余裕が、

絶対に要るんですよ。

私は、そう考えています。

やせ我慢ですよ。

自分でも、

その辺は判ってます。

でも、それは仕方ないじゃないですか?

だって医療人の定めでしょう?

ズーと大昔のヒポクラテスの時代から、

それは変えてはならない私らの定めではないでしょうか。

患者さんの不利益になる、あらゆる手段は排除する。

その様な選択眼を持つ事が大切なのでは?