相性


 何事につけ
相性と云うものが在ると
信じて疑わない私である。

 神社、仏閣詣りを好む私である。
地方に拘わらず、
上京した折りにでも
少しでも空いた時間をつくっては
気になる神社、仏閣に
出向いて往くを
常としていた。

 が、金沢の眉山神社だけは
どうも私との相性が
合わない様である。

 と云うのは、
此の社を訪れた後に、
必ず私は高熱を出す羽目となる。

 その様な事は
偶々の偶然であろうと
再度、此の鳥居を
くぐって観るのであるが、
結果は
言わずもがなであった。

 此処までくれば、
此れはご先祖に
前田の殿と
なにがしかの
因縁が在ったに違いないと
自分のなかで
決め込んでしまった。

 時代劇、時代小説好きの
私である。

 が、此処でも私の本領が
発揮される。

 何故か私は真田ものが苦手である。
訳等、
私に判ろう筈はない。

 嫌なものを無理してまで
読まねばならない訳もなく
ずっと今まで
避けていた。

 昨夕、何を想ったのか
書店の棚から
池波正太郎の
真田太平記を
自然と手にした私である。

 私は氏の小説は
粗筋は勿論の事、
台詞も諳じているのだが
此の真田ものだけは
手付かずであった。

 自分のなかで
どの様な変化が在ったのか
当の私には判らぬが
新たな局面を
迎えた事だけは
事実の様である。