端で観てる程には


若い時分に散々と悪さの限りをしたせいでしょうか?

と、ふと考える時が在ります。

何故にこれ程までに、腹がたつと云うことはありませんか?

私なんか、端から観ていたら、良いな~!って想われているんでしょうが、

まったく以て、その様なことはありません。

それこそ、上をではなく、下を下をと云う目線で、自分で自分を慰めています。

そんなもんです。

が、不快感への対処法も徐々に学びました。

不快の基は、取り除くに限ります。

最低でも、見ない、聞かない、近寄らないは必須です。

人間関係においても同様です。

壊れそうな、或いは壊れた人間関係を修復することは無用と考えています。

其処まで努力するのなら、別の展開に苦労すべきと云う考えからです。

信頼感とは、無理して造るものではありません。

匂いの違う人とは、端からダメだと思っててと云う気持ちになったのも最近です。

苦労したんだと思いますよ。

期待は裏切られると知ってるからこそ、犬に寄り添うんだと思います。

こう見えても、私は自分がこうと思い込んだらテコでも動きません。

思い込むまでが、結構と大変なんですけど。

その辺は頑固な方だと思いますよ。

目標を決めたら、決して投げませんでしたから。

だからこそ、自力で叶えられる夢は実現出来たんだと思いますよ。

ただ、人が関わる場合には、話しは別物です。

人には其々の考え方や想いの違いが在りますので。

そういう時は、惜しいと云う気持ちを棄てて、

サッサと方向転換を図ることの重要性も、

ヤハリ苦労が教えてくれたんだと思いますよ。

泣いた数だけ、知恵がつくと云うのは本当なんだと。