最近は女性が強くなりました。
と言うよりも、男が弱くなったことが、その様に見えるのでしょう。
インターネットの普及により、私のようなナマケモノでさえも、
タブレットで、簡単に映画を視聴できるようになりました。
読書でさえも、疲れる時があります。
文章からのイマジネーションが読書の醍醐味ですが、その頭を使う事さえも、
当の脳ミソが拒絶する時もあります。
そのような時に、私は好んで、このインターネットのサービスを利用しています。
視聴の途中で所用が出来れば、一時停止出きるのも、私にとってはありがたい機能です。
昭和の初め頃までの映画での一般家庭での過ごしように、
あぁ!コレが昔ながらの日本であったのにと、感じるのは既に私が時代遅れの人間である証しだと
しみじみ感じるのです。
男には、男の世界があり、その境界からは決して女性は踏み込んではならないと言う不文律があったのですが。
時代と共に、常識は変わっていくものです。
変わっていくという定かでない、不確かなモノを、あたかも物事の確固たる規準の如く、
強制されることに、偏屈者の私からしてみれば、大いに反発を覚えるのです。
医療においては、技術の面に於いては進歩し続けて変わっていくことが社会福祉の貢献になりますが、
心の面に於いて、それは患者さんや同僚、部下に対する労りの気持ちなり、
技術者としての心構えなどは、決して時代に左右されるべきではない大きな巌のようなモンだと確信しているのですが。
私が自分の信念だけで解決出来る性質の仕事以外に関して、
所謂、社交的な立場を採らない訳は、やはり私が偏屈者である証しであるのか、
はたまた自分の時代との大きな考え方の差異に傷つくことが恐いからなのか。
歯科の仕事を職人仕事と断言する私ですから、
職人は目の前の芸事にだけ向き合えば良いんだと思っているからなのか。
職人は男の仕事の花形であると、またその様な偏見を持つ私ですから、
男が弱くなった今、職人も確実に減ってゆくことは間違いない事実でしょう。