35年 前 の 今日
私は
大学院 博士過程 の 博士論文 執筆
締め切り 直前 で
ほぼ
医局に 籠もって おりました。
夕刻
子分格 の 大学院生 2人 を 引き連れて
小休憩 の ため
街 の 中華料理屋 へと。
ちょうど
当時 の 家人が 産婦人科に お産の ため
入院し
出産を 待って おりました
ので
次いで に
産婦人科医院 へと。
(昭和 の 男は ノンビリ して たん です)
部屋へ 3人で 入る と
正に
陣痛が 始まった ところ!
弟子の ひとり
慌てて ふためいて
ベット脇 の お見舞い の 籠から
おもむろ に
みかん を 手に して
皮 剥いて 食べ 始め たの です。
もう ひとり の 弟子 が
お前 何ヤッて ん だ!
と
戒め
2人は 早々に 部屋から 退出。
看護婦さん が ベットを 分娩室 へと 移動し
先生 も ご一緒に どうぞ!
愚かにも
私も
そそくさ と 分娩室へ。
お産は 女 の 戦場
とは
産婦人科医 の 叔父から
常々
聞かされて いた もの の
家人 の 姿 に
気が 遠のく 私。
(自分は 全く 痛くも 無い のに)
最近では
妻の 出産に 夫が 付き添う の が 当たり前
なん だ そうな!
幕末生まれ で 明治に 育った バァちゃん に
育てられた
正真正銘 の 昭和 の 男 たる 私。
あのような 場 には
到底
立ち会える 筈は ありませんよ!
コッチが 気絶しそう に なりました。
しばらく して
産声が 聞こえて
看護婦さん から 入室 促されて
初めて
観た 娘。
コレが 自分 の 子ども だと は
全く
自覚 できなかった ことを 覚えて います。
男 と 云う 生きもの は
実際に
パパ パパ と 言われて
初めて
父親 で ある と 自覚する モノ だと
経験上 判りました
ので
ヤッパリ
昨今 の 産休 育休を 採る 男性が
私 には 全く 理解デキません。
そんな 私でも
今は
群馬県 パース医療大学で 教授を 務める
親友 の 浅見君
彼も
同じ ように
博士論文 締め切り 直前 で ありました
が
お〜 浅見ぃ~ さっき 産まれた よ〜
と
公衆電話から 報告し
浅見君
三枝も 親父かい!
祝い に 鮨屋でも 行こう ぜっ!
俺に おごらせて くれい!
大学近く の 鮨屋で 待ち合わせ する ことに。
産婦人科医院 から 鮨屋 まで
およそ
5キロ 以上 あった と 思います。
日が 暮れた 新潟市は 肌に 凍てつく ほど の 外気。
タクシー でも 乗れば 良い もの の
思えば
高揚 して いたの でしょう。
通りに 面した コンビニ で
その日 の 新聞を 記念に 買い求め
ソレを 手に
長い 道を 歩いて いました。
澄みきった 夜空には 満天 の 星。
今でも
鮮明に 脳裏に 焼きついて います。
娘 の 名は その 道すがら
瞬時 に 決まり ました。
私は 白百合 の 花が 好き です。
ご先祖さま の お仏壇には
いつも
白百合 が 途絶える こと は ありません。
その 百合 の 花から
と
真っ直ぐ 人生 の 道を
歩いて 欲しい
と
名づけ たの です。
この 娘を
私は
その後 授かる
他の どの子 より
甘やかして 育てて いた ように 思います。
親父は
遠くから
幼い頃 の 面影を 思い出し
毎日
わが子 の こと
忘れる こと は ありません。
ふと した 瞬間 に
ソレゾレ の 子ら の 顔が 脳裏を 過ぎり ます。
大人 に なった 彼ら に
私は
もう 何も して やれません。
ソレゾレ が
ソレゾレ の 責任 で
シッカリ 歩いて 行かねば なりません から。
ソレでも
遠く から
決して 観えない けれども
見守って いる こと は 事実 です。
親父 とは ツライ 存在だと。

