あぁ!気を つけよう


私は リッツ・カールトン大阪が 好きでした。

このホテルの創業時 から

30代半ば から 40代は 月に 数回は 利用して いたように 思います。

あの 気品ある 趣 と 匂いが

仕事の 感性に 栄養を 与えてくれて いたように 思います。

大学の 仕事で 新潟に 通うようになってからは

関西圏へは 神戸までに。

大阪から 足が 遠退いて 10年くらい に なったでしょうか?

リッツ・カールトン大阪は 私の 50代

縁の無い 場所と なりました。

新型コロナウィルスへの 対応を 国は 大きく 舵を きりました。

私の 考え とは 別に

私の 生活も 一変したのは 致し方 ありません。

大阪への 出張も 研究絡みで 始まりました。

そのような 経緯から

再び

リッツ・カールトン大阪の 正面玄関に 愛車を 停めて

ドアから 降りて

ドアマンに キーを 手渡すのは

昔の ままに。

ドアを 開けて 貰って

中に 入った 瞬間

違和感を 視界に 感じたのです。

チェックイン して

部屋に 入って

私の 癖 なんです。

ホテルの 室内に 入ってから

先ず 最初に バスルームに 入ります。

バスルームは 昔の ままの 私の 好み。

でも、

思わず

バスタオル と タオル類に 触れた 瞬間

謎が 解けた のです。

リッツ・カールトン オリジナルの 分厚い ふかふか の 感触は なく

決して 粗末では ありませんよ

でも、

大手の マリオットグループと 汎用している 品に 変わって いました。

あの 個性と 重厚感は 消えて いたのです。

部屋の テレビ台も 変わって いました。

旧き 良き時代の 匂いは ありません。

フロントロビーでの 違和感も

この時 気づいた のです。

フロントロビーに 数台 置かれた 荷物用カート。

昔の リッツ・カールトン大阪には

そのような 生活感は 全く 感じさせられません でした。

普段 の 生活から 解放されたい ために

至高の 時間を 過ごしたい ために

一流ホテルは 存在すると 思っています。

ホテルマンの 対応は

そりゃ ビジネスホテルでは ありませんから

丁寧な 応対では ありますが、

昔の 彼らの プロ意識は 全く 感じません。

どこも 人手 不足なんだなっ と。

携帯電話の 充電器を コンシェルジュに 内線で お願い したのです。

20分 経過しても 届く 気配すら ありません。

時刻は 夜の 9時頃でしたから

チェックインで 忙しい 時間帯では ないのに。

私は このような際には

絶対に 苦情は 言いません。

出来ない 人に 出来る ことを 望むのは 無理だから です。

私の 好きだった シガーバー も 無くなって いました。

仕方がない ので、

ドアマンに 喫煙所の 場所を 問うたのです。

此方の エスカレーター で 地下一階まで 行って いただけましたら  直ぐに ございます。

丁寧な 応対でしたよ。

が、

エレベーターに 入って

ムッ?

B2 の ボタンは 在るんですが、

B1 の ボタンは ありません。

一応 B2階へと 降りて行って

地下へと 向かったたら 広いホールは 在るんですが

左手の エスカレーターくらいしか

それらしい モノは ありません。

再び、

ロビーに 戻って

彼に 問うたのです。

エレベーターには B2 しか なかったけどぉ?

B1 は 何処に あるの?

彼は 堂々と 語ります。

はいっ 地下2階から エレベーターに お乗りになって 頂いて 地下1階に あがって 頂いて

そこに 喫煙所が ございます!

ダメだっ こりゃ!

恐らく

総支配人が トロい 無能な 人材なんでしょう

人材教育 から 何から何まで

ホスピタリティーを 知らない 人なのでしょう。

もう 此処に 来ることは 2度と 無いでしょう。

トップの 姿勢が 全てに 反映する モノです。

私は 大いに 参考に なりました。

翌朝ですか?

私は 苦情なんか 言いませんよ。

ただ、

昔の スタッフには 明るい 笑顔 と 会話が ありましたが、

愛車を 玄関口まで まわして 頂いて

静かに ドアを開ける ドアマンに 無言で 去ったのです。

ありがとう が 言えません でした。

ホテルの 外観を ふりかえる ことも なく

道慣れた ハンドルで 高速道路の ゲートへと 向かったのです。