似たような話


さる著名な宮大工の棟梁によれば、
山歩きを日々行い、木々の観察を怠らないとのこと。

で、さぁ寺の修繕と云う時には、
どこどこの柱には、彼処の木を使おう!その時には其の木のアノ面をアチラの方角に向けて!
等と、考えるのだそうです。

例えば、北の斜面に面して育った木の北側部分は、柱に使う時も北側部分の柱として、
その柱の北側はヤハリ木の北側を充てるのだそうです。

寺の修繕に際して棟梁は、次の修繕は恐らく百年は後のことになるだろうが、
その時と大工からシッカリ評価して貰いたいと思うのだそうです。

その棟梁は自分の住む家を建てる際、自分では大工仕事はしなかったそうです。

何故ならば、自分の手は神様、仏様の家を建てるためのもの。

寺の修繕の無いときは、桶をこさえて手持ち無沙汰をまぎらわし、日銭を稼ぐのだそうです。

歯の仕事に於いても、全く同じことが云えると思います。

私は、自分の診療所はユートピアで在らねばならんと思ってきました。
歯の仕事に於いて、自分の信念に反する仕事はしないで今を過ごせたことに感謝しています。

正直、経済的にシンドイ時もありましたし、人様が想う程に裕福な暮らしはしていません。
歯科医はお金持ちと考えるならば、私には縁の無いことと諦めています。

但し、患者さんの治療に使う機材や道具、材料は、
最高品質のモノを使っている自負はありますし、
診療所のシステムも他の歯科医では決して真似は出来ないとの自信を持っています。

いずれ私も歳老いて、引退する時が必ず来ます。
次を引き継いだ歯科医が私の仕事を観たときに、シッカリ評価して貰いたいと、
兜の緒を締めて、日々を送っているのは、専門職として当たり前のことだと思っています。