日別アーカイブ: 2024年12月20日

珍しく 9時過ぎ まで 起きて ます

先日は

スタッフたち の 慰労を 兼ねて

仕事 ついで に

大阪市 まで。

 

お昼時 は

【道頓堀 今井】へと。

 

関西文化圏 以外 で

産まれ 育った

家人  スタッフ に

 

関西文化圏 から の 患者さん 独特 の 【あや】

より

理解を 深めて 貰おう と。

 

夜は

心斎橋 界隈 の 三寺筋 の 脇路地 へと。

コーリアンタウン。

 

韓国と 云えば 【焼肉】 だと 思って いた 様子。

 

普段

韓国 の  人 が

日常

口に する 【郷土料理】の 店 へと。

彼ら 家人

固まって ました。

 

いろんな 文化圏 識ること は

食 を 通じて が 1番 なの です。

 

今夜は

某人物たち との 戦い にて

本当に

丁寧な 調査活動を 行なって くださって いる

【さくら幸子 探偵事務所】 の 方たち

慰労を 感謝し 夕食会。

 

みなさん の ご厚意 で

頑張れる ん です。

 

そう云う 訳 で

今夜は

イレギュラーな 夜。

 

ブログを 認めながら

明日 の 朝食の 味噌汁 を 調理。

 

関西文化圏  と  日本海 越後 の 味 の 融和。

家人 に

私 の 好み を  伝授 して います。

 

ふと した こと から

私が 初めて 授かった 長女

中学校 の 同級生

まさか

人生最後 の 伴侶に なろう とは

思い も よらず。

 

皆から

歯は 診えて も

女を 診る 眼が 無いから

ココは

皆の 意見に したがい なさい

半ば

強制的に 強引に

年甲斐も なく

池波正太郎氏 の 著作 の 【剣客商売】

では

ありません

秋山小兵衛 と お春 の ような 境遇に

照れる  半分  恥ずかし 半分。

そのような 生活が 始まって

もうすぐ 丸3年に なろう と して います。

 

先日

大阪市へと 出向いた際

青年歯科医師 たち スタッフ  家人

いたわって もらい ながら

梅田界隈 を。

 

あぁ 懐かしい。

梅田 阪急百貨店 の クリスマスの 【飾りつけ】

どうやら

今年は 【不思議の国のアリス】 だ そうなっ!

娘が 幼い頃

背負って

喜ぶ 娘の 声に 嬉しかった。

ふと

もう 30年近く 前 の 光景が

網膜 と 鼓膜 に 蘇って きました。

 

私の 人生。

恐らく

人 の 5人 や 10人 ほど の

人生 を 経験 した ように 思います。

 

因みに

私の 羽織ったる コート。

 

私の 成人 の お祝い にと

ロンドン に 居た 叔母が

アクアスキュータム の 本店 にて

買い求め

送って くれた カシミヤ の コート。

 

42年前 の コート です。

 

私の 体型を 知っていた 叔母の 愛情に

今頃

感謝しつつ

体型 を 維持して いる 自分 にも 感心。

 

今は

若い人たち に 【手本】

なるように と

自分で 自分に 鞭打つ 私なのです。

クリスマス 直前 の 街並み

昨日

大阪市へ 出張 でした。

 

この頃

自分で 運転しなく なりました

ので

昨日は

スタッフ 総出 で。

 

私は 道頓堀【今井】 の 饂飩が 好きです。

 

讃岐は 饂飩で 全国各地に

その名を 知られて います

確かに 【コシ】ある 讃岐饂飩

美味しい と

私も 郷土料理として

大変  評価しています。

 

県外の 方から

【讃岐饂飩 美味しい】

言われれば

嬉しい です。

 

ただ

私は 【道頓堀 今井】の 饂飩が 1番 好きです。

饂飩だけ 観れば

【コシ】では 讃岐饂飩に 勝敗が 上がります。

 

ただ

料理 とは 【ハーモニー】 だと 思います。

一見

讃岐饂飩 でも よく観る 素材組み合わせ

ですが

【料理】の さまざま な 条件を 完全に 満たして

食した  瞬間

良かった!

納得 する でしょう。

 

私は

もっぱら

鍋焼きうどん派 です が。

 

讃岐饂飩マニア から してみれば

饂飩 は 生醤油 あるいは ぶっかけ。

鍋焼きうどん は 邪道と 思うに 違い ありません。

 

鍋焼き こそ

饂飩 と云う 食材 に おいて

難しい 調理法は ありません。

 

私の ウンチクを 聴かされ ながら

スタッフたち

ふうふう はぁはぁ。

 

コイツら

判って んの かい。

 

御堂筋 は クリスマス一色。

あぁ 1年も あと 僅か。

昨年から 今年

大変な 日々 過ごして いました。

 

来年こそ は 勝負 つける ぞ

と。