日別アーカイブ: 2023年3月11日

日本刀

私は 刀鍛冶が 好きです。

若い頃から、

何度も 何度も

刀鍛冶の 場へと 訪れました。

煌々と 燃え盛る 火中に

刀を 入れて

真っ赤に なった 刀を

一心に 叩く 刀鍛冶の 作業に 魅せられました。

ある時

伺ったのです。

作業の 最中 何を 考えているんですか? と。

バカでしょう?

で、
反って きた 応えは

な~ん も 考えて ないわなっ!
強いて 言えば
自分を 封じ込め てんねん。

う~ん

唸る しか ありませんでした。

でも、

よくよく 考えて みると

私が 治療の際

何も 考えて いません。

無我の境地 なんです。

強いて言えば

もう 決して 悪く なるなよっ!

歯に 無言で 語りかけて います。

つい 最近の こと。

顧問会計士の 先生。

彼は ユニークな 私より 6歳年長の 紳士です。

白髪交じりの 髭面で、

スーツで ビシッと 決めてます。

愛車は キャデラック と シボレーカマロ。

多趣味で、

自家用飛行機を 所有し、

年に 2度は

海外へと トレーニングに 出かけ

普段は

国内各地を 飛行機で 飛び回る。

よく 誘われるんですが、

それだけは 丁重に お断り しています。

で、

私が 日本刀が 好きだと 知って

意気投合し

自己所有の アレコレを 見せて 講釈 云々。

広島県からの 患者さんの 治療での 一休みと

院長室にて 珈琲を 楽しんでいたら

先生の 姿が 見えたのです。

玄関口まで 出向き

!!!!

手続き 済ませて おきました!

一刀 差し上げますよ!

警察署 と 教育委員会へ 手続きを 済ませて 下さり

診療所へと

わざわざ お越し くださったのです。

手入れは 先生 歯科医で らっしゃるから 

お手のもの でしょう?

ニコニコ顔で 

そのまま お帰りに なりました。

家に 持って 帰って

家人に 何て 言おうか?

あの日 から 12年

私の 人生観を 一変した 

東北大震災が みちのくを 襲って

もう 12年が 経ったのですね。

未だに

あの 悪夢の日からの 1ヶ月ほどの

私の 網膜に 映し出された 光景

鼓膜に 焼き付いた 音

私の 心模様

私の 表情を

鮮明に

秒単位で 覚えています。

現地は 正に 戦場の 焼け跡の ようでした。

このような ことが 在って よい ものか!

不条理さに 怒りを 通り越し

唖然と 現地に 立っていた 私の 惨めさを 

叫ぶ と云う 方法でしか 表現できませんでした。

歯科医師としての 職責を

明確に 自覚できましたのも

不幸にして 命を おとされた 亡骸を

お一人 お一人

姓名の 糸口を 見付けるための 鑑定でした。

この私が 泣き 叫び

亡骸に 相対していた などとは

みなさんは 到底 信じられない でしょう。

確かに 長い苦しい 期間では ありましたが、

新型コロナウィルスへの 

今の 油断感 漂う 街並みに

この国の 人は 我慢と云う 感情さへも 失くして しまったのか!

ロシア ウクライナ紛争での 経済に 対する 影響を 憂いることよりも

罪なき 尊い 命

かけがえ の ない 母国の 荒廃に 無情に なす術のない 多くの 人々の 心

他人事では なく

平和への 願い と 祈りを 捧げる 人が

どれだけ いるので しょうか?

近国の 覇権主義に 防衛する 準備を 整える 手段を 講じることも

私は 理解を 示す 者です。

が、

さて 有事直前に 至った局面に 際して

万端を 大局的見地から 決断できる 為政者が

今の この国に 存在するのでしょうか?

あの 12年前の 

自国の 生存を 脅かされた 災害に 対して

当時の 為政者の 判断 行動 は 愚かを 通り越したことを

私たちは 既に 経験したからです。

当時の 為政者たちが

頬かむり して 

政権を 批判する 姿に

恥知らずと ヤジを いれたく なる 私です。

あの 12年前の 

私の 心に 刻まれた 傷が

その後

カトリック信徒への 道への

準備期間に なったのだと 思います。

形ある モノ は 

いつか 壊れて 消失する ことも 実感しました。

確かに 存在する のだけれども

決して 眼には 見えない モノ。

心 です。

その 存在を 認識できましたのも

あの 12年前の 今日でした。

未だに 家族の元へと 帰ることの できない 人々の ために

祈りを捧げ つつ

決して 諦めずに

必ず

帰れるんだよ と

信じ 続ける ことを 継続しています。