懐かしい 再会

昨日、

仕事にて 大阪市まで。

途中、

用を足そうと サービスエリアに立ちよった際に、

眼が 釘付けに なったのです。

オールド アメリカンを 象徴する

キャデラック の コンコースの最終モデル。

コレぞ キャデラックです。

で、

もっと 驚いたのは、

私が 新車購入した 日本最後の1台 そのもの だったこと!

何で 判るのか? って?

私が 印字した 刻印が ハッキリと 残っていたからです。

遠くから、

そ~と、

現オーナーは どんな人だろうと

視ていたら、

若い 綺麗な ご婦人、

否、

お嬢様でした。

この車、

最初が 私で、

最後が この方なら 幸せだなと

安堵しつつ

再び、

ハンドルを握って 一路 大阪市まで。

歯科医学は 今こそ 原点に戻るべし

 

私は 歴史書を読むのが 好きです。

日本人としての 血潮が 沸き立つ想いで

文字を 追っています。

国の 成り立ちを 識ることは

人としての 誇り 思考 の 源になるような 気がするのです。

歯科医学においても

同様のことが 云えるでしょう。

昨今、

さまざまなる 治療という名の 破壊症例に 遭遇します。

歯科医学における テクノロジーは 進化しているにも 関わらず、

現実的には 治療結果は 劣化しているように 思えます。

過去の 著名な歯科臨床家たちの 卓越した【技】は

現在の テクノロジーでも 及ぶことは できません。

不便であることが、

歯科臨床家の 知恵と工夫の 成長の【種】となり、

優れた 治療成績を 生んだのです。

マイクロスコープ と ニッケルチタンファイルを 使った 根管治療が

現在 歯科界のトレンドとなっています。

私は ここに 原点に帰れと モノ申す 姿勢です。

根管の 特殊で 複雑なる 解剖学的形態は

マイクロスコープによって 手に取るように

視えるように なりました。

そのような意味合いにおいて

マイクロスコープは 根管治療の 必須機材と云えましょう。

で あるからこそ、

手用リーマー ファイル、マイクロエキスカ などを使った

歯科医師自身の 指先の 【指頭感覚】による

根管の 【拡大 形成】が 成功の 決め手と なるのです。

根管治療を 機械に頼るなど

私は 全く 理解できない 立場を 表明する者です。

歯科医師は 自然科学に 身を置く者です。

解剖学を 識るからこそ

腕が 痛もうが、

肩が 痛もうが、

指先に 全知全霊を 集中させて、根管に挑む。

それが 歯科医師の 務めだと 考えています。

先週の金曜日に 活けた 花。

今朝、

診療所に入り 窓を開け

振り返ると、

つぼみ が 綺麗に 開花していました。

診療室は 北側に面しているために

直射日光が 入りません。

元来、

歯科の診療室は 北側に設置すべき なんですよ。

歯の色調を 正確に 測定、認識するためと、

薬品等が 直射日光の影響を受けやすい ことが その理由なんです。

診療室に 植木を設置したことが ありました。

が、

緑には やはり たっぷりの陽射しが 必要だったのです。

直ぐに 枯れて しまいました。

そのような経緯と、

忙しさに かまけて

診療室から 植物が消えて 数年が経過していました。

でも、

人には 花が 必要なんですね。

先月から、

思い立ったように、

花を 活け始めたのです。

人に 花が 必要であるように、

歯科治療においても 華が 必要なんです。

根管治療の 最中です。

右肘を 支えているのは、

採血の際に 腕を置く アノ 台座 なのです。

この頃、

自分で 申し上げるのも なん なんですが、

働き過ぎ なのです。

見かねた のでしょう。

スタッフが 然り気無く 台座を す~と、

置いてくれたのです。

こういう 心配りの 中で

私の 歯科治療は 粛々と 進められているのです。

華ある 歯医者で あるために。

患者さんの 笑顔が あるから こそ

今朝、

セット予定の 上顎無歯顎の患者さんに 対する

インプラント修復。

メタルセラミックブリッジにて 対応しました。

まだ 40代の女性ですから、

まだまだ 人生は 長いのです。

今 流行りの ジルコニアセラミックは

数十年の 臨床経過報告が ありません。

ですから、

私は 流行りとは 無関係に

確かな【実績ある 修復方法】を 選択することに

躊躇は ありません。

歯型を 採ってから、

さまざまなる 行程を経て 完成した 修復物です。

最後の チェックには 背筋に 汗を流す 想いが します。

セットの 後

ですか?

患者さんの 笑顔があるから 頑張れるんですよ!

総合歯科診療の 真髄

 

先般、

ご報告させて いただいた

この 凄まじい 無知なる 結晶の賜物とも云える

歯科医師による 治療と名を借りた 破壊的行為。

分析に 分析を 重ねて、

昨日、

上の 修復物ではなく 破壊発生装着を

一気呵成に 取り外し、

仮歯に 置き換える 作業を 遂行したのです。

患者さんの これまでの【苦しみ】

お前ら 判ってんのか!

と、

恫喝したい 想いにて、

手先を

静かに 速やかに 動かしていました。

仮歯 いわゆる プロビジョナルレストレーションによる

 

咬合の 再構成です。

向かって 左側の チンチクリンな 寸足らずの セラミックブリッジが

前医による 破壊装着。

向かって 右側のプロビジョナルレストレーションが

知恵の結晶の賜物です。

修復物って、

同じ 口腔内条件であっても、

これだけ 形の【差】が あるんですよ!

序でに、

前医の 装着した 前歯のインプットブリッジ。

このような

アバットメントとクラウン 一体型のモノ。

ヤメテ 欲しいのです。

運悪く、

頭が悪い。

腕も悪い。

工夫に欠ける。

その 三条件を満たした 歯科医師 歯科技工士の 共同作業は

患者さんの 神経筋機構に 強い 【締め付け感】を与へ、

それは 苦痛 以外の 何者でも ないのです。

総合的見地からの【診断】から 初めて、

総合歯科診療が 可能なのです。

たかが 仮歯ですが、

ここに至るまで さまざまなる 【仕掛け】を 仕組んでいるのです。

ちょっと だけ ヒントを ご披露させて 頂きました。

歯科診療。

奥が 深いんですよ!

 

歯の 痛み

この ごく数年、

興味深い 兆候を 診る 機会が 増えました。

虫歯でも なく、

歯周病の歯への 咬合性外傷でも なく、

感染根管でも なく、

歯が 痛む。

それも 痛くて 咬めない ほどに。

さまざまな 診査を経て、

肩 頸 腕 の 筋肉と 骨膜 由来の 痛みが

歯の痛みとして 現れて いるのです。

新型コロナウィルスは

近年の 社会生活を 一変させました。

巷は

既に

慣れか? あきらめ か?

多くの 人で 溢れて います。

しかしながら、

マスクの着用は そのまま である処を 視ると、

潜在的には、

新型コロナウィルスへの 警戒心は

未だ 皆の 心のうちに 張り付いて いるのでしょう。

良識ある人は、現状も 超警戒態勢での 暮らしを 送っています。

先が 見えないことへの ストレスは

確実に 人の 自律神経系に 影響を 与えているのです。

無意識下で 凝り固まった 筋肉。

それが 歯の痛みとして 現れて いるようです。

歯は 【情念】を著す 臓器です。

歯を くいしばって 頑張る とか、

奥歯に 心地よい 感触 とか、

表現豊かな 日本語は

歯の 咀嚼 以外の 【独特】の役割を 著しています。

その 診断と 治療方法は、

単に マウスピースを装着する と云う 単純な モノでは ありません。

そこに 総合歯科診療の 醍醐味が あります。

 

余裕綽々 の 毎日

仕事も 好調。

体調は 絶好調。

多忙と云えば 年々 その度合いは 増すばかり。

多くの 諸問題も 降りかかってきますが、

それらは

私にとっては 【男の修行】

全て 消化し、

栄養に するだけの 度胸は 身に付いた 今までの経験が

活かされて いるようです。

懐かしい 小説が 映画化される そうな。

青春期に 胸を ときめかし ながら 頁に 張り付いた 小説。

舞台は 私の好きな 新潟県長岡市。

主演も 私が 1番好きな 映画俳優の 役所広司さん。

司馬遼太郎氏原作の 【峠】

診療の合間での 細切れ 読書法は 健在ですよ。

医療職を 通じて 学んだこと

母を

東北から 引き取って

2回目の

母の誕生日。

昭和9年6月3日で 88歳を 迎える 母。

昨年は、

誕生日を 祝うところでは ありませんでした。

母の 身分を 証明するモノが 何もない。

健康保険証、介護保険証、年金手帳、通帳に印鑑。

何から何まで、

自己責任とは云へ、

娘夫婦に 取り上げられての

粗末な 施設での 屈辱にまみれた暮らしから

さまざまな 手続きに 翻弄されて、

やっと 一息と 思いきや、

娘夫婦から依頼された 弁護士から

これまた、

さまざまなる 因縁を つけられて。

このような問題に、

私は 常々 専門職を尊敬しておりましたので、

わざわざ 弁護士の先生の 手を煩わせる 問題ではないと、

自分自身で、

相手側の 弁護士と 電話 書面での 丁々発止の 最中だったのです。

私の知る 弁護士の先生は、

正義の味方ですから、

依頼人を 選んで おられる事を 常々 知っておりましたので、

この弁護士の方に対しては、

内心にて、

なんでも 受ける アホウな奴と、

法律においては 素人ながら、

日露戦争の折の

バルチック艦隊を相手に

奮闘した 帝国海軍の艦隊の 大砲の如く

戦いまくった のです。

で、

今日、

6月3日は 仕事にて 時間を割くことが できないために、

前倒しにて、

母の誕生日の お祝いを させて頂いたのです。

梅酒を 手にする 母の姿に

イケマセンね。

涙もろく なりました。

料理を 前にする 母に、

もう イケマセン。

席を 外して

外に 煙草を 吸いに 出たのです。

優しい気持ち、

戦う際の 鬼のように 容赦ない 攻め。

正岡子規の 俳句では ありませんが、

相反する 両者 併せ持つ 性格と 思考回路は、

患者さんに対しては 慈しみの気持ちにて、

しかしながら、

病に対する 手当てに関しては 手段を選ばず 戦いを挑む

医者の 度胸から

知らず知らずのうちに

身に付いたモノかも しれません。

 

 

総合歯科診療の 原点

 

私の 日課です。

診療室の前の 小ホールに設けた 祭壇にて、

診療開始前 と 仕事終わりに

祈りを 捧げるのです。

私の カトリック名は ヨゼフです。

聖母マリアさまの 夫であり、

生業を 大工として、

神さま から お預かりした 神の子 イエス キリストの

この世での 父として 生涯を 終えた 人物です。

私の この カトリック名は、

師匠である 内藤正裕先生が 命名して くださったモノです。

四半世紀以上 私は 何かと この師に 相談しながら

暮らして きたように 思います。

洗礼を受ける際も そうでした。

師の 言葉は、

バカヤロウ!

やっと その境地に 辿り着いたのか!

なぁ~にぃ~?

カトリック名だとぅ~?

バカヤロウ!

俺らは 歯の大工!

だから ヨゼフに 決まってるだろ!

こういう会話って、

今の人たちからすれば 違和感が あるのかも しれません。

それならば、

そうしか 感じられない方々は 不幸な 人たち なんですよ。

師の 愛情と 情熱が、

このような 表現に なるんですから。

洗礼の後、

分厚い 聖書と、

著名な画家であった 師のご祖母堂さまの 描かれた

聖ヨゼフ像を 突然 私の診療所へと 贈ってくださいました。

その 聖ヨゼフ像を前に

私は 祈りを 捧げるのです。

科学は 万能では ありません。

未だ 私は 修行の道半ば。

それでも、

患者さんへの 手当てを 行うことは

恐くて 恐くて 堪らないのです。

無知なる 医師ほど 愚かなモノは ありません。

ですが、

知れば 識るほどに、

眼には 決して 見えない 存在を 感じるのです。

今、

歯科医療の 進む方向性に対して、

私は 大いなる 疑問を 感じています。

人の持つ 能力は 無限です。

鍛えれば 鍛えるほどに、

五感 以上の 感性と 技が 生まれます。

それを、

放棄している ようにしか 思えないのです。

CT 画像を そのまま 信じる 浅はかさ。

3Dカメラから ミリングマシーンで 削りだされた 技工物。

なんでも かんでも セラミック。

アホウの 一つ覚えのような ニッケルチタンファイルを使った 根管治療。

咬合器も 使わない 修復治療。

人は AI  などには 決して

負けません。

自分自身の 技を 磨くことの 継続から 生まれたのは

祈り だった のです。

人の 手当てを 行うことは

人を 視なければ なりません。

そして、

なによりも、

患者さんの 幸福を 祈りながら

総合的見地からの 治療の実践こそが

医療人たる者の 務めなのです。

こんな ちっぽけな 私の手です。

それでも 私は この手に 命をかけて います。

てな 偉そうな こと 言ってますが、

こんな風に 患者さんの お話しに 耳を傾けての 毎日です。

 

 

激務の 中で

診療所の 体制創りに 終われた 3年間でした。

おそらく、

私が 引退するまで、

この ノウハウを 模倣できる 歯科医院は ないでしょう。

ただ、

これで 終わった訳では ありません。

まだまだ

三枝デンタルオフィスは 進化し続けます。

診療所ビルの 1階部分の 手当てにも 着手し始めました。

ここは 研究に専念するための 【場】に 使う積もりです。

研究しない 臨床医には なりたくありません。

博士論文を通過し得た 過去の業績だけの

名前だけの 【歯学博士】など ゴミのような モノですよ。

博士は 生涯 研究の場から 離れては ならないと、

そう、

私は 考えています。

【三枝歯科医学研究所】

その設立に 着手し 始めたのです。

そのような多忙な ありがたい日々を 過ごす中で、

老いた母の 好物を 見つけて、

食べさせる姿を 眺めることは

とても 心が 癒されるのです。

 

山形県の【佐藤錦】が 出る 季節に なったのですね。

季節は 人の暮らしとは 関係なく

確実に 巡ってくるもの なのですね。

母は 良い品しか 受け付けません。

わがままな 人です。

それでも 良いと 思っています。

【本物志向】は この母の遺伝子を 引き継いだモノですから。