治療のチョッとした合間に、
院長室で腰かけていた際に、
ふと、
幼い頃、
と言っても、
小学校に上がる前の記憶が
蘇ってくることが在ります。
そんな記憶曖昧な大昔をと、
訝しく思うですが、
なぜ、
当時の記憶なのでしょう?
沈む夕陽が映える瀬戸の凪と岬の光景や、
鼻腔に蘇る空気の匂い。
つい、
う~・さ~・ぎ~・
恋しぃ~・
かの山ぁ~。
自慢の喉を唸らせる私。
昔の唄って、
つくづく良いモンだと。
功成り、
名を成そうと、
田舎から出でし少年が、
都会で青春期を過ごし、
ブルドーザーなみの馬力で、
世間の中を生きてきた。
振り返る余裕などなかったと、
前へ、
前へと、
進んできたモノの、
フとした調子に、
立ち止まってみる。
そんな歳になったのだと思います。
大東京に暮らす田舎出身者の多くも、
おそらく、
私と変わらない感傷めいた時を
迎える機会もあるでしょう。
新潟の文豪が、
故郷は語ることなし、
だと。
語らずとも、
故郷は、
脳裏と心内に
いつも一緒に居るのですから。