昨夜は目が冴えて、
全く眠気をもよおさず、
朝まで、
文章を書いたり、
文献をよんだり、
はたまた、
思案に耽ったり。
私の時間は歯科医学のみで占められています。
私が歯科医師を将来の仕事として
決めた時期は、
最近の受験生からすれば非常識なほど遅く、
17歳の高校2年の正月前の頃でした。
当時の歯科医師は、
現在の飛散な状況とは全く逆であり、
歯科氷河どころか、
歯科パラダイスと云う信じられないでしょう。
歯科大学に入学イコール歯科医師国家試験は合格。
で、
初任給も100万円って云う時代だったのです。
ですから、
歯科大学は競争率が高かった。
医学部と変わらなかったと思います。
理系のエースが歯学部だった時代もあったのですよ。
私の歳の前後5~6年くらいの歯科医師は、
そういう時代を
青春期を過ごしたのです。
文系の私が歯学部への逆転ターンを試みた。
進路指導の教師が知ったら、
絶対に許さなかったでしょうね。
よく学生から聞かれるんです。
先生は、どうして歯科医師を志望したんですか?
と。
私は自宅付近の庵で過ごすことを
とても好んでいました。
学校をサボって、
庵の仏さまの前の畳の上で昼寝に興じたり、
寝そべって小説を読みふけったり、
たまに、
仏さまに向かった読経したり。
そんななか、
顔馴染みになった老婆の僧侶と一緒に読経した歳に、
締めのおりんを叩いた瞬間、
頸だけ振り返った僧侶が、
ポツリと。
ボク、歯医者になりや。
ポカンとマヌケな顔をした自分の顔が
見えるかのように覚えています。
私は文系ですから、
英語と国語は別として、
数学、生物、化学は1から始めなければなりません。
普通なら無理でしょう。
また、
私の実家は大商いしてました。
跡継ぎ息子ですから、
世間さま以上の暮らしを満喫していました。
歯医者になるなどと知られれば、
絶対に許してはくれぬわなと。
高い月謝はどうするんだとか。
正月前に思案しましたね。
私には好きな叔父がいました。
海軍兵学校卒業あと、
京都府立医大へと進み、
千葉大学で医学博士号を取得した経歴の叔父です。
骨董と自動車、そして女性を好み、
女性の方は新しいのを好んだようですが、
粋な大人の男の見本のような人でした。
情に深く、
世間体など何処吹く風ぞという人でした。
そういう叔父ですから、
私の親は勿論、
親戚一同から、
悪い見本のように、
何かしらあれば叔父の名前を口にしては、
あいつのようだと、
そんな風に扱われている叔父を
私は心から今でも尊敬しています。
オッちゃん、歯科へ行こうと思うんやけど?
人の身体を診る道は厳しいぞ!
行け!
ただ、
この二言だけでしたが、
もしもの際の月謝の担保ができたと云うことです。
勉強の方は、
キツくはなかったですね。
理系と言っても、
数学1,数学2Bは、
考えると云う部類ではなく、
解き方のパターンを覚えるだけでしょう?
生物、化学も、
同じです。
覚えれば解ける科目なんです。
私ら文系の暗記力は強いですよ。
本を開いて、
目の前に置き、
網膜に伝道する
カメラのシャッター.ボタンを押すかのように、
ページごと暗記くらいは、
朝飯前でしたから。
この時に、
気合いを入れて鍛えた暗記術は、
歯科医師になってからの
歯科辞典の暗記の際には、
大いに役立ったのです。
このような話しを、
学生たちにすると、
みんなが目を丸くしながら、
聞いています。
いいかい?
そもそも仕事と云うものに、
向き不向きと云うモノはないんだよ。
縁があって仕事の出会う訳だね。
チョコッとかじっては、
自分には向いてねぇやとか、
もっと自分には才能がある
そんな訳ねぇだろ。
才能がある人は、
既に10代で、
花開いてるわね。
昔と違って今は、
情報化時代だからね。
羽生結弦選手や、
あの高校生の将棋指しの彼。
なっ!
あういうのを才能があるって云うのさ。
我々は唯の凡人。
だから、
一生懸命に、
仕事の方へ、
自分を合わせるの。
先生、不安感はなかったですか?
阿呆か!在るに決まってるやないか!
だから。
不安感が鍛えに鍛えられて、
私はカトリックの道に
救いを求めたんだもの。
最後の最後まで、
不安感は消えませんよ。
だから祈る。
ここまでが、
私の今持ってる結論だわな。