商家の長男として育てられた私には、
長男としての責務が在ります。
たとへ、
商家を継がず、
歯科医師になったとしても。
代々の家の血の連鎖と
家のしきたりを
後代に伝えることです。
私の朝は早いです。
神棚のお供え、
そして、
かけまくも~かきこき~
で始まる祝詞を挙げ、
今度は、
お仏壇のご先祖にお供えし、
香を焚き、
きみょうむりょう~の、
経を唱えます。
で、
診療所へと出勤し、
やっぱり、
神棚のお供え、
そして、
大きな柏手を叩き、
院長室の観音さま、
幼い頃に、
近所の婆やから託された、
大切な観音さま。
お供えして、
般若心経1巻、
観音経1巻、
で、
観音さまのご真言と、
地蔵菩薩さまのご真言。
光明真言を唱えて、
そういう人生を普通に過ごしてきました。
それは、
患者さんの診療を仕事とする私にとっては、
大きな拠り所にもなっていました。
神様、仏さまが護って下さってくれる、
と云う自信です。
歯科医学に私は、
自分の人生の全てを捧げています。
だって、
他に何の取り柄もないことが判っていますから。
不思議な縁を得て就いた歯の仕事。
そんな私ですが、
ようやく、
その覚悟が自覚できたように思います。
歯と供に歩いた人生でしたから。
大晦日の朝、
教会のミサへと、
一緒に参加した息子が、
笑いながら言いました。
父ちゃんの臆病は極めつけやね。
神道に仏教。
父ちゃんの日頃決まりきった所作の真似は
誰もできません!
だって、
ずっと続けて来てる実績が在るからね。
これは犬なみの規則正しさやね。
で、
今度はロザリオ!
父ちゃんは、
何処まで不安なの?
でも、
守りは完璧やね!
これだけの信仰での完全武装!
私は、
息子に笑われても構いません。
人の身体を診療するってことの
責任の大きさは、
私を押し潰そうと襲って来るのです。
だからこそ、
一生懸命に歯を丁寧に手当てさせて頂く。
しても、
しても、
判らないことばかり。
だからこそ、
無心で綴る。
これが私の歯科治療です。
カトリックの神様との縁は
確実に私を一変させました。
許す。
受け入れる。
そういう意識が自然に芽生えたことだと思います。
難しい症例を前に、
心も頭も悩ませます。
優しい気持ちで
苦しみの叫びを挙げる
症状を難しくしている原因が、
自然と、
向こう側から私に
飛び込んでくるようになりました。
もっと、もっと、
高見に行きたいという、
歯と云う大きな頂への挑戦は
生涯続くでしょう。
この、
いと高きところには、
何が在るのでしょう?
その頃、
私は神様の掌に委ねられるに違いありません。
私は良い仕事に就きました。