動機


友人たちは私のカトリックへの改宗に

とても驚いているようです。

一番の身近な立場であり、

同性である息子は、

私の気持ちを無理なく自然と、

受け止めているようです。

人を診る仕事に、

私は不向きであるのかもしれません。

心が傷つく機会も多いのが、

医療人の定めでも在りますから。

長い期間に患者さんと接しまして、

つくづく思いますのは、

本当に尊敬に価する方の多いことであったのも

反面の事実でもあります。

勉強させられ、

私も、かく在りたいものだと、

襟を正すキッカケを造って下さったのも、

多くの患者さんからでした。

時には、

このような人には絶対になりたくないと、

そう感じます機会も在りました。

私も人生の後半戦です。

今は、

このようになりたくないと云う

気持ちにもなりたくないのです。

清々しい心で、

患者さんの手当てに従事専念することだけが

私の人生の締めくくりだと思っています。

信仰は心の泉だと、

私は思って来ました。

資本主義優先の時代ですが、

清々しい愛の心で在りたいと云うことが

私を動かせた動機でも在ります。