歯科医師としての生き方


私が歯科医師と云う職業に就いて既に四半世紀がとうに過ぎてしまいました。

医師としての診断力や技術が向上したのは言うまでもありません。

それはプロとして当たり前のことでしかありません。

医学的な収穫より、

歯科医師と云う仕事で得た大きな恩恵が在ります。

それは、

【両手で頂く】と云う気持ちを認識したことです。

日常の何気ない見過ごしがちな些細な事象も、

よく観れば、

何かのヒントなりキッカケになることを

診察を通して経験して来ました。

私の診療所の特性柄、

私の患者さんは、

他の歯科医院へ訪れる患者さんとは、

全く求めるものが違うことを日々、実感しています。

遠くからお出でになられる患者さんも多く、

私を探してお出でになられることに大きな責任を感じます。

また、

治療とは患者さんにとって快適な行為ではありません。

出来るだけ簡単に、迅速に済ませたいとお思いになられるのも

それも当たり前のことだと認識しています。

しかし、

目前の求めに応じることが、

患者さんにとって将来の病気の種になる場合には、

私は身体を張って、阻止せねばなりません。

それが専門職の職責だからです。

そのような日常から、

人と人との関わり合いについて

深く考えさせられる機会が多いのも事実です。

【歯には神様が宿る】

と、私は信じています。

西洋では聖アポロニアが歯の神様として、

余りにも有名でありますし、

本邦においても、

前方後円墳で名高い仁徳天皇の弟君、

その御曹名を忘れてしまいましたが、

歯の神様で在られるそうです。

その歯を手当てする歯科医師は、

それこそ神職の気持ちで、

日常の診療に従事すべきと思って来ました。

だからこそ、

【ていねいに】と云う態度が

自然に身に付いたように思います。

そのためには、

患者さんの現症、治療経過、

患者さんのパーソナリティーから、

それこそ、

時として視られる患者さんの我儘、

全般において、

【両手で頂く】

と云う腹を決めて過ごすことが、

私ら医人の定めであると、

覚悟を決めてと云うよりも、

自然に身に付いたような気がしてなりません。

それでも、

喜怒哀楽を強く持つ私ですから、

自己中心的な自分との絶え間ない戦いの方が、

日々の学問的研鑽よりも、

ヨイショが要るのも事実です。

歯科大学の学生諸君や若い歯科医師からの、

様々なる問の一つである、

歯科医師としての生き方について、

私自身も、

未だに答えを得てはおりませんが、

今は、

【両手で頂く】と云う気持ちの維持が

答えのキッカケになるのではないかと考えています。