弱った涙腺


新潟市の人情横丁近くに【都食堂】という名の定食屋が在りました。

硝子棚に並んだ小鉢から好きなものを選んで、

飯に、漬物、味噌汁で頂くと云うスタイルの

庶民的な街の食堂です。

おばちゃん以上の年齢であるおばちゃんが女将で、

パートの、これは正真正銘のおばちゃんを2、3名使って

切り盛りする規模の食堂です。

私は決まって、

常温のコップ酒。

漬物が旨いと褒めたら、

皿いっぱいに漬物を運んでくれるのを

肴に、先ずはグッと飲み干して、

塩鮭をおかずに茶碗飯に味噌汁。

これが私の定番でした。

先般、新潟市へ参りました際に、

足は当然【都食堂】へ。

が、

店が無いのです。

とうとう俺もボケた!かと、

付近をもう一度、

歩き廻って、

やはり【都食堂】は消えていたのです。

建物はビストロへ改装中です。

私は立ちすくんでしまいました。

息子の新潟在住の折りには、

親代わりのように面倒を観て下さったからです。

年末前にご挨拶に参りました折りにも

お元気そうでしたし、

店は大いに繁盛していましたもの。

探しました。

知人、友人、

コネを駆使しておばちゃんの所在を探しました。

で、

今しがた、おばちゃんと電話にて話しをした処です。

年明け早々に倒れ3日、意識不明であったとのこと。

で、

店は閉めて現在自宅にて療養中であること。

もうじきに、

規模を縮小して【都食堂】は再開する積もりだと。

ご自身のことよりも早く、

開口一番【晋ちゃんは?】

息子は越後人の人情に包まれて青春期を過ごせた幸運を

必ず大人になった時に感謝するでしょう。

私の第2の故郷は新潟です。

自分で勝手に、そう思っています。

死んだら分骨して、

信濃川に散骨せぃ!と、

息子にはクドイ位に言い聞かせています。

私はこの土地の一部になる積もりです。

越後人の人情は筋金入りです。

義を最も重んじる県民性です。

目前の利益よりも義を重んじるのが越後人です。

幕末の戊辰の役では、

幕府への義を貫き、

会津藩と共に多くの犠牲者を出しました。

昨今においても、

政府の思惑に反して、

喉から手が出るくらい欲しい政府からの地方助成金を

なげうってまで、

反原発の知事を選んだ土地柄です。

都食堂のおばちゃんの働く姿を美しく思って観ていました。

朝くらい内から深夜まで、

雪の日も、

雨の日も、

黙って仕込みに励み、

決して贅沢はせず、

欲と云うモノからはほど遠いお人柄でした。

その姿に触れた息子にとって、

いつかは肥やしになるでしょう。

電話での会話の間、

私は泣いていました。

涙腺が弱って困ったものです。