百貨店の地下階食品コーナーの賑わいの中を
揉みくちゃになりながら、
行き交う人の肩越しに食材を選ぶのが好きです。
興味をひかれた商材を吟味するのに、
隙間をぬって目的の品を手に、
そんな一時が好きです。
大阪梅田の阪急百貨店地下階の盛況降りは、
幼い頃からあいも変わらず、
チョッと阪神方面へと足をのばした際には、
その雰囲気を欲し、
ついつい。
あの空気は東京では決して味わうことが出来ません。
池袋の東武百貨店の食品階を、
日本橋の老舗百貨店より高く評価しているのですが、
やはり食に関しては、
西高東低の傾向を感じてしまうのです。
地元の百貨店に全く関心が湧きません。
と云うのは、
地元のバイヤーの目利きを無視した商材選びではないか?
そんな印象をどうしても感じてしまう店創りに、
私の感性が反発するのです。
ここは大東京ではありません。
ここにしか無い自己主張ある商材を並べてこそだと、
私は感じるのです。
歯科医療においても、
私にしか出来ないことを、
私の診療所で主張してきた自負が在ります。
普遍と個性の調和の落とし処を求め続けるのが、
個人事業主の本来の姿だと思っています。
人の猿真似ほど愚かしい事はなく、
せっかくに天から頂いた生を過ごすに、
考えると云うことを続けるのが、
感謝の印だと考えています。
考えると云うこと。
それが、どんな局面においても
人の人たる所以だと、
この頃の新患の患者さんの口腔に施された
歯科医療に接して、
歯科医師は確かに手先の仕事ではありますけれども、
考えることを放棄したようにしか観えない治療傾向に、
悲しい気持ちになるのは私だけではないように思いますね。