私など決して他人の事など言える資格などありませんが、
お前などから言われる筋合いは無いと
内心にて思える馬鹿でもないと思っています。
私のせがれなどは親不孝の見本みたいだと、
せがれの顔を観てはそう思い、
電話に一向に出ないせがれの顔を思い出しては
重ねて、そう思うのです。
それなら自分はどうだ?と問われたら、
確かに親不孝だなと。
しかしながら、
今時の若者とは違う【自分】を持っていた様に思います。
【自分】を真っ直ぐに自覚する事と、
【勘違い】の間には大きな川が流れています。
好き勝手に生きた見本のように一見では見えるかもしれません。
が、
私は努力してきました。
人知れず【悔し涙】を流し、
汗をかき、
泥水をすすり、
辛抱して、
目標に向かって進んでは後退し、
後退しては進みの繰り返しから、
夢を夢でないように、
現実化してきた足跡が在るを自負しています。
夢を語るは、
男子としては誇らしい事ですが、
夢と現実の間の狭間を埋めるには、
血と汗と涙がどれ程在るかを
知らねばなりません。
私は、そう思うのです。