恩師の言葉の重さ


大学時代の特に教養課程の際の私の暮らし向きは、

到底、他人に自慢できるモノではありませんでした。

遊んでばかりでしたもの。

授業もサボってばかりだったように記憶しています。

ただ、

今は日本歯科大学の学長をお務めになられる

中原泉 教授の歯科概論の御講義だけは、

興味にひかれるというよりも、

オーナー先生の御講義であるから

サボってはヤバいという、

調子の良い短絡的な考えで

座ってだけいた記憶が在ります。

当時の先生のお顔には、

幼子を持つ父親の表情が残っておられたことも

何でか判りませんが、

その様に記憶しています。

時たま、

今では立派な学者へと育った御子息の兄弟の手を繋ぎ、

大学前の小道を散策しておられる姿も鮮明に記憶しています。

私のような馬鹿学生でさえも、

今になって先生の講義録や著作、

入学や卒業式の際の訓辞の活字を

丁寧に眼で追うようになりました。

歯学は私学によって創られた。

日本歯科大学が歯学の源流であるという

自信に裏付けされた先生の信念を、

私は挫けそうになった時の、

支えに、

自然とそうなっている事を自覚しています。

中原 泉先生の名前を聞いて、

緊張しない母校から羽ばたいた人は

皆無でありましょう。

私らからしてみてば、

宮中の天皇陛下のような畏れ多い

天上人と言えましょう。

しかし、

その様な先生の存在は、

終戦時に動乱の起こる事なく、

整然と平和日本へと大きく舵をきった

日本人の心の象徴があったからこその

世界の驚く所作であったように、

私ら歯科医師の心の支えになっているのは

間違いない事実です。

信じて、

歯科治療にのみ専念できるのも、

母校を導く中原 泉先生の

一種のカリスマ性の為せる技だと、

私は断言できるのです。