後悔から


天罰が当たったとお感じになることがありませんか?

後悔など無いと言いきる人を存じ上げています。

私は振り返り、後悔の連続です。

真剣に生きる事と、

後悔や反省が無いというのは、

全く意味合いが違うと、

私は思います。

嘘つきという台詞が在ります。

しかし、

嘘も方便という言葉を

お釈迦様も仰られています。

同じ言葉であっても、

片方は軽蔑を、

もう片方には救いを感じます。

言葉の面白さ、深さだと思います。

私は若い時分には

随分と悪いことばかりしていました。

呑み歩き、

大勢の女性と付き合い、

それを【芸の肥やし】と

信じキっていました。

女性にも嘘もつき、

当時付き合っていた時代の前の家人の

察しての寂しげな表情に、

その時は自分を責め、

でも、

その繰り返しという塩梅。

ただ歯科医学への取り組みと情熱だけは、

ずっと変わることはありません。

それでも、

治療なり研究において、

反省すべき点は星の数ほど在ります。

私は歯医者に成りたくて成りたくて、

歯医者になった幸運者です。

その感謝の念も18の歳から変わってはいません。

ですから、

罪滅ぼしのように、

歯へ全神経を集中していたんだと思います。

言い訳かもしれません。

他方向への配慮する余裕はありませんでしたし、

私自身が古い日本の男から、

抜け出す事が出来ない

不器用者だからかもしれません。

歯に関する事以外はサッパリ駄目ですし、

歯でさえも、

未だに修行中の身ですから、

中途半端な境遇を糧に、

もっともっと上手に成りたいと、

益々、

歯へ向き合うようになりました。

今ではパワハラの代表例である、

【電通鬼十則】を

私は若い時分から手提げ鞄に入れて復唱し、

私は仕事の指針として、

今でも否定する気持ちにはなれません。

ただ、

これは自分が自分で言い聞かせる信念であって、

他人に強要する性質のモノではないと思います。

仕事は自分にだけ厳しく在れば良いのですから。

私の意見に反論も在ろうかと思います。

時代的には、

私は少数派の変わり者だと云う事は、

もう自覚済みですので。

私は決して人格者ではありません。

ただ、

患者さんを愛しく思い、

ナイチンゲールの心で接していると、

これは声を大に挙げて申せましょう。

私事で恐縮ですが、

内輪からの手厳しい批判の的となった事が在りました。

その内容を紐解けば、

私が歯科医学の厳しい修行を貫くための決意を

何十年も持続、継続させるために、

自然と身についたモノだと感じるのです。

其れが【汚泥】か【勲章】かは、

先入観が種分けしているように思います。

18での志を、

54の歳まで一向に衰える事なく、

嫌、

もっと上昇させるエネルギーの火を

燃やし続けてきた事だけは、

誰からの批判を撥ね付ける自負は在ります。

が、

人格絶対否定な厳しい罵声には、

倒れそうな程に、

自分の身の置き所を失うのです。

そんなぼろ雑巾のような私を

シッカリと支えてくれるのも、

歯の仕事です。

今日は悲しい人とお会いする機会が在りました。

涙で頬を拭いて差し上げたいと思いました。

でも、

その哀しみの大きさが判るので、

泣くだけ泣きなさいと。

ただ私が居りますから。

ポキンと心が折れそうになったら、

夜中でも、

何時でも、

私の携帯電話を鳴らして下さいと。

其れが【開業医】の仕事ですからと。

コチラの方が倒れたいのですが、

コレが私の仕事の真髄なのでしょう。

困った方のために生きるが医療人。

どうして、

身内からだけ、

私は責められ、

批判され、

否定され、

軽蔑の謗りを

受けねばならぬのだと。

欠陥人間と言う単語を叩きつけられたのです。

そんな哀しみと情けなさを味わい、

私の芸域が深まったと、

今は自分にそう納得させています。