酒の味


元来、私は酒は嗜みませんでした。

と云うよりは、

父親遺伝のアルコールに弱い体質であったからです。

家人と知り合い、

当時私の横でワインを空ける姿に驚愕し、

そんなに旨いモノならばと、

私も少しずつ味わうようになりました。

が、

やはり酒は私には合わないのでしょう。

盃を重ねる度に、

昔の哀しい、辛い記憶が蘇り、

で、

眠くなってと云う涙酒でした。

といって酒の味を覚えると、

甘いジュースなど好まなくなり、

たまたまコンビニのコーヒーが意外と旨かったのを期に、

私は酒を止めました。

が、

昨夜はバーボンをボトルに半分ほど空けました。

旨いとは思いません。

酔いたいと思ったからでもありません。

こういう時、

意思の弱い人間と想われるかもしれません。

私は鉄人や機械でできたロボットではありません。

糸のように、

硝子のように

繊細な部類の人間だと思っています。

【医師と云う立場でなければ、私など誰も相手にしない】程度の

私は【歯】だけで生きてきた人間です。

【歯】の仕事が、私を支えていました。

後継ぐべき家業を棄てて、

私はこの道に入りました。

歯科医の多くは群を成す習性があると感じています。

が、

私は、あくまでも孤高を貫いて来ました。

歯科医学を愛しても、

私は歯科業界に抵抗感を持っているからです。

私が、

【歯科医療は愛の仕事である】と云う

内村鑑三氏の書を診療台の横に掲げているのは、

私には私の医療哲学が在るからです。

歯の職人でしか食べてゆく手段を私は持っていません。

これしかなかったと、

だからこそ私は【歯】にしがみついたのです。

私は知識を振り回す専門家にだけは

成りたくありません。

私は歯科医師と云う国家免許保有を立派だとは思いません。

が、

歯科医療は愛の仕事だと信じています。

自分の身体を、

太い縄で、

硬い縄で、

グルグル巻きにして、

そうでもしなければ、

元来の私は意思の弱い人間であることを

誰よりも知っているからです。

この縄は、

生涯外す訳には参りません。

それは生涯歯の職人を貫くためです。

苦い酒の味など旨くはありません。

が、

何から何まで、

自分との約束を守れるほど、

私は強くはないのです。

そうこうしてでも、

自分で自分に、

頑張れ!と。

歯を噛み締めて、酒を喉に流し込むのは

私だけかもしれません。

歯で駆け走って終わる人生にと、

青春期に、

萬代橋から信濃川を仰いで決めた私ですから。

その残された時間も少なくなりました。

精一杯、

駆け走って。