家人と娘たちへ伝えなかったこと


先の大戦の際に、

沖縄へ片道燃料で海上特攻の海へと突撃した【戦艦 大和】

艦長であった伊藤 整 中将の家族へ宛てた遺書の手紙の中での

幼い娘たちへのお願いの言葉に

1本の糸の長さと太さを

感じざるを得ませんでした。

【お母様のような御婦人におなりなさい】

失敗を糧に、

縁あって出会った今の家人に対しては、

伊藤 中将の心持ちを常に心のど真ん中に置いて、

接してきたことに偽りはありませんし、

現在も、その様に思っています。

ただ、

私には運命的に出会った【歯科の仕事】を全うしなければなりません。

それが私の運命の定めだからです。

定めを背負う男には、

戦う相手や対象が多すぎるのです。

歩む私の前に道はありません。

掻き分けて、押し倒して、

転んでも、怪我をしても、

前へ前へと進まなければなりません。

この様な定めを自覚して生きる男と出会った事は、

普遍さを尊いと考える人であれば、

不幸な出会いであったと言わざるを得ないと。

随分と年の離れた家人ですので、

私が先立ってから独りで多くの時間を過ごし、

世間と接点を持たねばならないのが事実でしょう。

ですから、私にとっての家人は娘のような意識で接して来ました。

それが良かったと思い出す頃には、

私は既に居ないでしょう。

男と女は発する言葉が同じであっても、

言葉の意味は違うのです。

それに気づいた私は、

女家族の家の中では、

ジッと皆の挙動を眺めているだけになりました。

当然、昔男の私には理解できません。

が、

それで良いのででょう。

で、

私は皆に教えておかなければならない原則、規律は

全て聞かせてきたと思っています。

もう私の出る幕はないと思っています。

【お母様のような御先婦人になりなさい】

家人、娘たち、共に考えながら時を重ねていくのでしょう。