患者さんから
信心深いと云われる事
しばしばの私である。
診療所の入り口には
出雲大社の御札、
診療所の四隅に
伊勢、猿田彦神社の珠を吊り下げて
それらに自然と
患者さんの目が
往くからかもしれぬ。
院長室の私の机の脇には
観音様を御祭してある。
自分では信心深いとは
特別、思ってはいないのであるが。
私は幼い頃より
身近な処に
神様と仏様が
居られた。
幼い頃より
神様と仏様が
何時も護って下さっていると
信じていた。
その様な訳で
私は起床すると
必ず
お経を唱えてきた。
信仰が習慣となっていた。
私には所謂、新興宗教は
判らない。
自分の身体の中に
流れる血の基を辿って
ご先祖が信じた神様と仏様を
御祭するが
長男の役目と
信じての事である。
変こつ者と云われる私であるが、
天に仰いで
やましい行いだけは
しないでこの歳迄
辿り着いたのは
やはり神様と仏様の
お陰であろう。
私は人の身体を診る仕事をする者である。
医師、歯科医師に必要な条件には
様々在るが、
私は他人に流されない
確たる哲学を
一番に挙げたいと思っている。
その為に
私にとって信仰が
其の裏付けとなっていた様に
この歳になって
しみじみと
感じるのである。