今日の夜の7時から時代劇専門チャンネルにて、
鬼平犯科帳スペシャルが放映されるので、
また娘たちからブウブウ言われるだろうと、今から気が重いんですが、
ドラマが始まってしまうと、案外と娘たちも観いっています。
私の時代劇贔屓は、恐らく死んだ祖父の影響だと思います。
晩酌しながらの、大川橋蔵演じる銭型平治などに目を細めて楽しんでいた姿を
時たま、思い出します。
今、振り返り考えれば、この人は真面目な人であったんだろうと。
決まった時刻に、決まった道順で帰宅し、順序正しく入浴し、晩酌のあとに夕食を採り、
外へ飲みに行くこともなく、人付き合いも滅多にせず、
決まりきった日々を送って生涯を終えました。
その倅である父は、朝に私が当校する時に庭の入り口で朝帰りのご対面、
で、私が夕刻に帰宅する頃には、イソイソと遊びに出かける毎日で。
当時に流行ったモノには全てに手を出して、
放蕩息子の3代目を、絵にかいたような人でした。
徹夜マージャンを週に5日は楽しんで、
空が白ずんでから帰宅しようかなどと、マージャンの連れと話し合って決めた仲間内の会名が東雲会という、
呆れた、その仲間は次々と身体を壊すか、会社を潰すかで。
そもそもは、まぁまぁ裕福であった商家に生まれ育った私が、
お門違いの歯科の道に入るキッカケとなったのは、
これじゃ、先がもたんだろう!と、思ったからというのは正直な処です。
この父は早稲田大学の理工学部の卒業であったので、
私の早稲田嫌いは、恐らくその影響だろうと思います。
が、縁とは不思議なモノですから、
大切に育てた上の娘は、父たる私に逆らって早稲田へと入学し、
爺さんと共に早慶戦を観戦していたようです。
良い歳こいた大人が、スポーツ観戦程度で皆で肩を組んで校歌を唄うなんぞ、
阿呆ではないかと、品格欠ける行いと、感じる私の方が一族のなかの変わり種。
亡くなった婦人科医であった叔父と私は、随分と浮いた存在でありました。
隔世遺伝という言葉を、つくづくこの頃に、ふと思い出すのです。