小言


ケーブルテレビのチャンネルを何気に変えたら、
何年かまえの映画が放映されていました。

途中からの視聴でしたので、最初の過程はよく判りませんが、
そういえば以前に、実話として新聞記事で見たことがあるゾ!と、思いだし、
娘と一緒に、アレヤコレヤと好きな事を言い合いながら最後まで観てしまいました。

何処かの小学校の6年生のクラス全員で、校庭でブタを飼育した物語です。

卒業までに、このブタをどうするか?

下の学年に飼育を引き継いで貰うor食肉センターに引き取って貰う。

最後は、娘と一緒に涙する始末!

歳をとったんでしょうか?

最近はヤタラと、テレビを観ながらの野次が口から出るようになりました。

命の重さを考えるキッカケ?食べる食べられる重さ?

私は教育者でないので判りませんが、

クラスの子達が、それぞれ意見を出しあって、最後は多数決する訳です。

想わず、

ー ばか野郎! ー

と、口から。

これは私の考え方であって、大勢は判りませんが。

ブタを食肉センターに引き取って貰うこと、即ち、このブタは殺されると云うことは
この子達は、少なくても判っているわけですよ。
これは単純に、頭のなかで、理屈の上ではです。

私だって、毎日のように、ブタや牛や鳥を食べています。
食べる以上は、この肉がどういう事になって精肉になったのかは判っています。

が、あえて小学6年生の子達に、ワザワザその選択をさせる経験がいるんですかね?

この子達は、子役の演技ですけど、白熱した議論でしたよ!

但し、この教師は、ここまでの選択を強いるのであれば、
食肉にされる過程もキチンと子達に見せてから、多数決を採らせるべきです!

私の理解では、ブタと云うのは、キレイ好きで知能の高い動物であると。

最初から食べるために飼育されているブタには、大変申し訳なさを感じつつありがたいと感謝しつつ、

でも、子供たちと少なくても一緒に過ごしている訳ですよ、このブタは!

喰う可能性があるのなら、飼い慣らせるな!

私は新米歯科医の頃に、毎週決まって、食肉センターへ通っていました。

研究に使う牛やブタの歯や顎の骨を、食肉センターのご厚意にて頂くためです。

湯気が立つばかりの、その塊を、現場から有りがたくいただいて持ち帰る訳です。

生きていく以上、他の動物のお世話にならんとアカンのは判っています。

でも、ワザワザ飼い慣らした自分達のペットみたいなブタを教材にする必要があるンですかね?

それだったら、名前をつけて、可愛がるな!と、想うんですけど。

だいたい私は、こういう時の多数決ってのが嫌いです。

民主主義の決まり文句みたいに言いますが。

ー パパならどうするの? ー

娘に問われて、

ブタの首に縄つけて、引っ張り連れて帰って俺が庭で飼うわぃ!

だいたい、最初に学校でブタを飼育すること自体が間違っとると、
ブツブツ言いながら、

娘に、だから食い物を残すなって!またブツブツ八つ当たりしたのでした。