カトリック信徒である 私は
日曜日の ミサを とても 大切な
生活を 過ごす 上での【区切り】だと 考えて います。
その ミサの 冒頭は
私は
思い
言葉
行い
怠り
に よって
たびたび 罪を 犯しました。
と云う 懺悔から 始まります。
人は 過ち を 犯す 習性を 持って います。
それを【業】と 云う のでしょう。
ロシアには ロシア正教会 と云う 宗教が あります。
キリスト教 の 一派です。
この ロシアの 君主みたいな プーチン大統領に 対して
ローマ カトリック教会は
ヒットラーと 同じ 評価を 下しました。
私も 同感です。
私の 知っている 某人が
カトリック教会から 破門された ことを
人伝に 聞きました。
日本には 法律が ありますが、
カトリック教会にも
独自の 解釈での 法律が あります。
全能の父 と その御子イエスは
罪深い 人を 本来 許す 大きな 存在です。
が、
その某人は
その 範疇から 破門された 訳です。
よく その方の ことを
私は 存じません。
が、
親しい 縁に 至らなかった という ことは
私の ものさし と
大きく 違って いたから
距離を 大きく 採った という こと でした。
ただ、
この某人は
そんな こと 気に して いない と 思います。
思い
言葉
行い
怠り
の 基準値が 違う からです。
プーチン大統領も 自身の 行動を 正当化してる はず ですから。
ウクライナで 多くの 一般市民の 尊い 命が
この 権力者の 野望の 犠牲に なって います。
天は 黙って 観ている 訳 ありません。
必ず
罰を 与える でしょう。
ただ、
ものさし って 恐い ですね!