子供の・躾


東北地方の・とある街にて

税理士事務所を営む夫婦が・居りました。

突然、

その夫婦に

悲しい出来事が・襲ったのです。

東北大震災です。

夫婦は・命からがらの思いで、

大きな商いを営んでいた・四国の妻の実家へと、

3人の娘と共に・疎開したのです。

幾月か経過して、

かつての仕事場と・我が家に戻った夫婦は、

事業を・再開する決意をしたのです。

災害による被災者であることで、

金融機関の融資は、平常よりも迅速に行われたことは

この夫婦にとっては・幸いでした。

しかし、

これが無理の始まりだったのです。

立派な事務所の建築に予算を費やしたために、

住居の建築費用が・厳しい状況になったのです。

妻は・実家に・泣きつきました。

ママ!家のお金が・足りないの!

援助して!

高齢でしたが・母親は・商いの現役でした。

災害に苦しむ・娘夫婦と孫を哀れんで、

また、

引退したら・一緒に暮らそうね!

という優しい言葉に・ほだされて、

母親は・コツコツ貯めた貯金を崩して、

娘を援助したのです。

家が完成した頃、

再び・娘から電話が・入りました。

ママ!今・いくら位・援助できる?

庭に・お金が必要なの。

ママが住んだ時に、

庭が・ひがんそ・では・嫌でしょ。

母親は・再び・援助したのです。

家が完成し、

老夫婦は・娘夫婦の主導のもとで、

先先代から・引き継いでいた・店を畳みました。

老夫婦は、

屋敷を引き払い、

セカンドハウスとして所有していた街中のマンションへと

移りすみました。

夫婦の厚生年金と、

少しばかりの預金で生計をたてながら、

娘からの・迎えを待つ生活が・始まったのです。

が、

いつまで経っても、

迎えの声は・ありませんでした。

遂には、

夫の体調に・大きな変化が・襲ったのです。

夫は、娘に連絡します。

ソレじゃ・こっちの病院を手配するから・来れば・連れてゆくわよ。

翌日、

夫は・妻を残して、

空路・娘を頼って・東北まで飛んだのです。

翌日、

病院で危篤状態になりました。

妻は・我を忘れて、

着の身・着のままで、

新幹線を・乗り継ぎ・在来線を乗り継ぎ、

不自由な脚で・夫のもとヘと・向かったのです。

しかし、

夫の死には・間に合いませんでした。

通夜・葬儀が終わり、

妻は、

娘と一緒に暮らす筈であった家ではなく、

訳も判らない状況の中、

山の斜面に・多くの墓標の立つ横の

老人施設へと・入居させられたのです。

当日、

娘夫婦と孫たちは、

ハワイへと旅行に出掛けて・行きました。

成田空港のコンビニのATMで、

母親の年金を・2回に分けて・引き出した娘を

年老いた妻は・知る吉も・ありません。

施設は、

食事代も含め・月に8万円程度の費用の処でした。

妻には、

東北の田舎言葉は・皆目・理解できません。

食事も・粗末なものでした。

年金も・現金も・何ももたされず、

差し入れも・なく、

2年、

妻は・祈り続けたのです。

この年老いた老女から、

直接・聞かされた・台詞。

どこで、私は・育て方を・間違えたのだろう?