男というもの


池波正太郎の小説に登場する人物は、それが武士であったり盗賊であったり、それは全て作者池波正太郎自身を
投影したものであろう。

ひとりの人間の中に、これ程の多くの顔があるのかといぶしがる人は、
恐らく平坦な人生を幸運にも歩む事ができた人であろうが、
私などから観れば、薄っぺらな人にしか見えず、興味の対象にもならない。

また元来、男と女は全く異なる生き物であると認識せねばならない。
かくいう私も、つい先日その事を再認識させられる小事件に遭遇した。

女は口から生まれた生き物とはよくぞ上手いこと表現したものであるが、
当の本人は、口から先に出た言葉がどれ程に、あらぬ方向へと勝手に走り出す等とは考えの及ばないのであろう。

男は、窮した時に嘘をつく。
其れを嘘つき呼ばわりされれば、男は皆が去勢せねばならないだろう。

男は外で戦う定めを持つ。
すべての戦いに勝てる男はいない。
従って男は、叩かれた時の痛みや、負け戦の情けなさを否応に体感して成長する。

この過程で自然に男は、相手を傷つけない作法を身に付ける。
こういう事が自然と出来ない男は、先の民主党政権の為政者の如く、文字通り、身体を張った仕事が出来ないのである。

男にとっての作法を身に付けたるは、時に女の好敵手にされる危険性をはらんでいる。

私は、やはりヤヤコシイ事には関わりたくないので、もう女とは更に距離をとろうと再認識したに至るのである。

鬼平ではないが、にがり顔で、煙草を吸う位の事しか出来ないが。
目くじら立てるも男の恥と、我慢の一文字である。

男とは、そう言う生き物である。