昨日の日曜日は、仕事で朝から大阪まで車を走らせました。
このところ高松から出る頻度が増えているせいか、少々身体に疲労感を感じます。
一通りの仕事を終えて、日が暮れてから高松までのトンボ帰り。
走り慣れて、見慣れた阪神高速からの風景も、今は乱立するビルの灯火のみとなり、
反対車線の、恐らく休日を家族連れかカップルで神戸まで遠出したのであろう車の渋滞の続くライトが
明日の七夕の天の川の如くもいつも通りです。
早く家に帰ろうと思いながら、ふと脇の携帯電話のメール着信を報せる点滅に、
誰からだろうと思いつつもハンドルを握りながら、またものメール着信に
次のサービスエリアに車を停めて携帯電話の画面に目を落としました。
意外にも、青森の木村藤子先生からのメールでした。
つい数日前に、私は初めて木村藤子先生に初めてお会いして頂きました。
本州の最北端の下北の地にまで来る事ができた幸運を、私は忘れないでしょう。
長い時間を私のためにさいて頂けた先生のご厚情を、私は忘れないでしょう。
何事も教えてもらう心構えと心の準備が大切だと、私は思っています。
素直に木村藤子先生の言葉を、私は肝に命じて、実行しようと下北発の列車に乗りました。
木村藤子先生に関する情報を知らずに私は、先生と会いました。
ですから、なんの先入観もありません。
私の先生への印象は、あぁ本当に神様にお仕えされる人であると云うものです。
仕事場に帰ってから、ふとパソコンのインターネットで、先生のお名前をキーボードで叩いてみました。
常々感じている事ですが、確かにインターネットの恩恵にはありがたいと感謝しています。
しかしながら、個人を実名で誹謗中傷する行いには、私は怒りを覚えます。
しかも、誹謗される側の人間は実名でありながら、する方の自分の事は伏せたり、匿名であったり。
この様な行為は、卑怯者の行いで、闇討ち、騙し討ちの類いと同じであると思います。
ー 先生、人に疲れませんか?人が嫌になったりしませんか? ー
との私の問いかけに、
ー 苦しんで苦しんで下北までお越しになられるお方ばかりです。心絆つく時はありますが、それも
神様から与えられた私のこの世での仕事なのですよ ー
と、穏やかに話され、
ー 先生も一生の仕事に就けた幸運に感謝しているのだから、どのような方にも懐を開いて欲しい ー
俗世間の垢にまみれた汚れた眼では、神様の言葉を推し測ってはならないと、
少なくともこのくらいの気持ちを持たなければ、先生のお言葉どころか、
これからの人生を順調に過ごす事はできないでしょう。
色々な先生の書き込みに、それが私へのものであれば、私はとても傷つきます。
この様な、人の道に外れた行いは、絶対に慎むべきです。
無垢の絹を汚された様な、辛い気持ちになりました。
一面識も無かった私に二時間近くも時間をさいて頂いて、報酬めいたものも受け取って頂けず、
沢山のメロンを私にご馳走され、おまけに帰りにはフクロウの金のブローチを。
それでまた、メールでの私への御言葉です。
先生のような方の一言で、私は歯科の道に入りました。
折り返し地点に差し掛かったこの歳に、
先生から頂いたお言葉が、再び私の歯科医療の道標となりましょう。
私の中で、木村藤子先生は、ヤッパリ青森の神様だと感じます。