私は 日本歯科大学を 卒業後
大学院の 歯学研究科に 入学しました。
当時は
大学院の 定員は
1講座 2名
博士過程 ですから
4年に 1名しか
大学院に 入学する モノ好きは 居りません でした。
当時は
今とは うって変わって 【歯科医師不足】 という 時代。
歯学部は 理系の 花形 だった の です。
もう 半世紀 近く 前 の
信じられない
歯科医師に とっては パラダイス の ような 時代だった の です。
ですから、
新卒でも 初任給が 100万円 なんて ザラな 時代 でした。
そんな 状況で
わざわざ
またまた 月謝を 払って
大学院へ なんて よりも
開業医に 勤務して
早く 現場で 出た 方が 賢い 選択。
そういう 風潮が ありました。
当時の 大学院の 月謝は
月額 3万円 だった と 思います。
それに 加えて
家賃 光熱費 生活費
さらに
学会年会費 から
学会の 度に 出席費 プラス 交通宿泊費。
外に 出れば
ウハウハ 稼げる のに
大学院に 身を置く モノ好き って
変わり者 扱い された モノ でした。
ただ
その時代の 大学院出身者の 多くが
教授職に 就いて いるのも 事実 です。
私は 大学院に 席を 置いた ことを
振り返れば 良かった と 思って います。
なぜなら
稼がなくても 良かった から です。
だって
開業医勤務 だと 給料以上は オーナーから
尻を 叩かれて 稼がなくては なりません。
新卒が そんな クオリティーの 高い 治療なんて
できる 訳 ありませんよ。
それに 対して
大学院生は 稼がなくて イイん です。
ゆっくり 時間を かけて
丁寧 に
指導を 受けながら ( ほぼ イジメに近い シゴキ )
そんな 中で 治療の いろは を 学びます。
また
博士論文を 書かなきゃ なりません から
文献の 山に 身を 置く の です。
で、
大学院生の 本業は 研究ですから
実験を 実際に 行わねば ならない。
コレが
後に なって 効いて くるとは
当時は 思いもよらず。
ただただ
治療 研究 学生指導 から 雑用に 追われ
加えて
日々の 糧を 得る ために
夜間診療 などの アルバイトで
なんと 愚かな 選択を した ことか と 思いつつ
もう 後には 退けぬ と
ただただ 夢中の 20代の 後半を 送って いたの です。
研究から 結論を 導く ために は
統計処理をも 考慮に 入れて
実験計画を 作成しなければ なりません。
研究のクオリティー は
ほぼ この段階で 決まる のです。
だから
研究は 条件設定が 大事!
その事を 身を 以て 学んだ のです。
歯科治療も 全く 同じ です。
ただ むやみ やたらに
目の前の 歯科疾患に 対して
対症療法を しても
後から 学ぶ モノは ありません。
技術の 習得は 当たり前 なんで
そんな ことで 一生懸命って
普通の こと なんですよ。
大切な ことは
治療を 如何に 条件設定して 行って いるのか?
その辺り を 【考える】
で、
メンテナンス を 通して
自分の 為した 治療結果の 推移を 視て 【考える】
この 繰り返し から
医者の 実力が 鍛えられる の です。
私は 大きな 症例の 修復治療は
上の 奥歯は ゴールド修復を 推奨して います。
今時の
なんでも かんでも 【白い歯】には
反対的 立場を 採って います。
大臼歯 の 内側の 山 の 外斜面に
大きな 磨耗面が 認め られます。
このような シチュエーションは
顎の関節 に 問題が 潜んで いる 証 なんです。
その 解決方法に ついては
私の 講習会にて。
仮に
この歯を セラミックで 修復した ならば
必ず 破損する でしょう。
ジルコニアで 修復した ならば
歯根破折する でしょう。
歯を 守る のが 歯科医師の 使命です。
なんでも かんでも
素人の 患者さん の 言いなりに なるのは
愚かな 行為だと 考えて います。
よ~く 説明して
場合に よっては
よ~く 説得して
手当て を する のが
本当の 医療職の 務めだと
私は 考えて います。