母を
東北から 引き取って
2回目の
母の誕生日。
昭和9年6月3日で 88歳を 迎える 母。
昨年は、
誕生日を 祝うところでは ありませんでした。
母の 身分を 証明するモノが 何もない。
健康保険証、介護保険証、年金手帳、通帳に印鑑。
何から何まで、
自己責任とは云へ、
娘夫婦に 取り上げられての
粗末な 施設での 屈辱にまみれた暮らしから
さまざまな 手続きに 翻弄されて、
やっと 一息と 思いきや、
娘夫婦から依頼された 弁護士から
これまた、
さまざまなる 因縁を つけられて。
このような問題に、
私は 常々 専門職を尊敬しておりましたので、
わざわざ 弁護士の先生の 手を煩わせる 問題ではないと、
自分自身で、
相手側の 弁護士と 電話 書面での 丁々発止の 最中だったのです。
私の知る 弁護士の先生は、
正義の味方ですから、
依頼人を 選んで おられる事を 常々 知っておりましたので、
この弁護士の方に対しては、
内心にて、
なんでも 受ける アホウな奴と、
法律においては 素人ながら、
日露戦争の折の
バルチック艦隊を相手に
奮闘した 帝国海軍の艦隊の 大砲の如く
戦いまくった のです。
で、
今日、
6月3日は 仕事にて 時間を割くことが できないために、
前倒しにて、
母の誕生日の お祝いを させて頂いたのです。
梅酒を 手にする 母の姿に
イケマセンね。
涙もろく なりました。
料理を 前にする 母に、
もう イケマセン。
席を 外して
外に 煙草を 吸いに 出たのです。
優しい気持ち、
戦う際の 鬼のように 容赦ない 攻め。
正岡子規の 俳句では ありませんが、
相反する 両者 併せ持つ 性格と 思考回路は、
患者さんに対しては 慈しみの気持ちにて、
しかしながら、
病に対する 手当てに関しては 手段を選ばず 戦いを挑む
医者の 度胸から
知らず知らずのうちに
身に付いたモノかも しれません。